その雪寄草に、口付けを。 / 神里綾人 (ページ30)

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其ノ弐拾捌ページ30

「Aさん」

娯楽小説を読んでいると不意に名前を呼ばれた。

「神里様。お話は終わったんですか？」

娯楽小説を閉じてから聞くと神里様は私の隣に座った。

「ええ。なのでAさんとお話をしに」

私も神里様とお話したいと思っていたけれどこうも直球で言われると何だか恥ずかしい。

「そう、ですか。…お父様とはどんなお話をされたんですか？」

照れてることがバレないように平然と受け流したかったけれど多分これは失敗してるな…。

「婚約するに向けて話しておかなければならないことは多いですからね、今回だけでは話しきれていませんがまあ主にAさんについてです」

「私、ですか？」

そこそこ長い時間話していたと思うけれど私の事だけでそんなに話すことがあるのか…。

まあそりゃあこれからの親子関係とかあるけれど私のことはてっきり私も会話に入るものだとばかり思っていた。

「志倉様はAさんとはこれからいい関係を築いていきたいそうですよ。ですがAさんが志倉様と普通の親子関係をこれから築きたいと考えているのかが分からなかったのでそこに関してはまだあまり詳しく決まっていません」

「じゃあ縁は切られなくて済むんですね…！」

それだけがずっと不安だったからひとまずほっとする。

「そうですね。でもこれからは志倉様とそんなに関わらなくても良いんですよ」

そう言って神里様は私の手を握る。

「もう婚約は正式に決まったんです。すぐにでも神里家に越してきませんか？志倉様と距離をとるのがAさんの身のためだと思うのですが」

「引っ越し…」

私は神里家は暖かいのを知っている。

神里家はきっと私を歓迎してくれる。

でも私が神里様の提案に即答出来ないのは理由がある。

世の中にはもっと厳しい環境で過ごしている人が居ると思うからだ。

神里様のことはもちろん好きだけど社奉行神里家の当主ともあろうお方にこんなに優しくしてもらっていいのだろうかという迷いが消えない。

娯楽小説でたまに所謂“毒親“が出てくるけれど、お父様はそれより酷くないし、少し人より厳しいだけ。

「勿論、たまに帰るのも良いですし、露さんに遊びに来てもらうことだって大歓迎です」

神里様は私の不安を拭うように話す。

“私なんかが“

この言葉が頭から離れず、気づくと私はぽつりと神里様に問いかけていた。