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そりゃそうだ、そんな事を彼が知るはずがない。
……知っていたとして、それに構う訳が。……
そう思いながらも、もし知っていれば、彼は別の人を用意したのではないかと思う。
彼の『普通』の温度を知ったから生まれた、子供じみた勝手な期待だ。
するすると書架の中を縫うようにして進み、奥の小部屋へと着くと、トントンさんは軽くノックをして「連れて来た」と簡潔な言葉と一緒に、扉を開けた。
……来て、しまった。
トントンさんの大きな体躯を盾にするようにしながらそろそろと入室すれば、「丁度良かった」と目を細めるエーミールさんが、ティーポットを掲げた。
「温まるかと思って、丁度
「ああ……俺はええわ……飲みたい処やけど、これ以上空けたらあの阿呆共が調子乗りかねへんから……」
眉を顰めて、げんなりした表情をする。
あの阿呆共、と言うのが誰を指すのかは解らなかったが、気安さのようなものがあったから、きっと彼と同じ中枢に働く彼らの誰かだろう。
「ああ……それはそうかも。ゾムさんがさっき、『トントン居らん！』って言うてましたから……」
「は？ 彼奴っ……解った、有難うエミさん。すぐ戻る」
厄介ごとを察知したらしいトントンさんは、軽やかに踵を返す。
その背に、慌てて、「あの、」と声をかけてしまった。
律義に足を止めて此方を振り返ってくれる彼に、一瞬言葉に迷う。
簡潔に。時間を取らせないように。……
「……ご迷惑をおかけしまして、すみません。……有難う、御座いました」
タオルの事。マフラーの事。
……私の憂いを、掬おうとしてくれたこと。……
彼は少し、レンズの向こうで目を細めた。
そして、
「……ああ。通りがかっただけやから、気にせんで」
と、さらっと出て行ってしまった。
半分無意識に、首に雑に巻かれているマフラーに触れる。
彼の瞳は、之よりもずっと赤かった。もし似た所があったとすれば、彼の『普通』の言う柔らかさは、之にも近かった。……
仄かに移っていた筈の体温は、すっかり私の肌に奪われてしまっている。
大きい背が遠ざかるのと、扉が閉まるのとを見届けてから。
……ああ、気まずいな。
何て、無責任に思いながら、私はそっと振り返るのだ。
「……また随分。……」
エーミールさんは私に一歩近寄り、
「奥に暖炉がありますから。毛布と着替えと、新しいタオル、用意してます。少し出てますね」
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作者名：遥彼方 | 作成日時：2021年5月8日 20時
