[wrwrd]赤に溺れる６ (ページ3)

今日:4 hit、昨日:12 hit、合計:24,495 hit

２４０ページ3

……父の事は、覚えていない。
声は勿論、匂いも顔も、本当に何も覚えていない。

然し私は、彼との思い出の中に、このリングと、もう一つ。
昔、海に連れて行ってくれたことがあったこと。それを、覚えている。

左ハンドルの車、私は助手席で買ってくれたジュースを飲んでいて、パパは自分の運転がママより荒いことを指摘されて笑っていた、ように思う。
二人だけで行った海。落ちていた流木を持って帰って写真立てを作った。

物の価値とはこういうことだよ。

父は海外の在住歴が長かったと聞いたことがあると思うから、多少日本語は怪しい発音をしたのだろうと思う。然しそう言う独特の発音すら忘れている。
只、彼が何かこの、流木の写真立てから伝えたかったことがあるのだろう。

当時はそれが、全く判らなかった。
余りにも幼かった。

目を閉じる。

目の裏で、あの赤はいつだって鮮やかで、鮮やかである限り私から離れないのだろう。
そう、それでいい、そうでなくてはならない。

赤が爆ぜる。
火に飲まれそうになったあの日の事も、忘れちゃない。

鎖骨を撫でた。
きっと其処には今でもある。あの異能の『徴』。

ある種それは犬のマーキングにも似ているし、そういう意味では多少の独占欲にも似ているのだろう。
或いは、実験体に番号を振っていくような。……

「……」

爪を立てる。
骨に当たるから、別に痛みは大して感じなかった。

人間、こんなものか。

記憶が閉じてしまうより先、さらさらとペン先をノートに走らせた。
そうしてから、思い出を一つ一つ舐めながら、朝を待った。

.

＊＊

雨天である。
強くなったり弱くなったりする雨音は、窓に打ち付ける音も混じる。

湿気を含んだ髪を手櫛で多少整える。
所々跳ねたりうねったりしているのかもしれないが、鏡は手持ちがない。

会う相手は先ほど朝食を共にしたしんぺい医師(せんせい)位だとは思うのだが、家族に会うなどと言う程の間柄でもない。況して他の方々は、である。
整えておいて損はないだろう。

「……」

医務室から出ていき、扉を閉めながら、さて何処へ行こうかしらと思案した。
雨は嫌いじゃない。寧ろ、……。

私はふらふらと、何処に行くと決めた訳でもない癖歩き出した。
ある種それは、＿＿見る人からすれば＿＿亡霊にも、似ていたのかもしれない。

誘われるようにして出てきた先は、庭である。
夜通し降ったのかと思われる程、既に地面はぬかるんでいた。