はじまり ページ2
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韓国での生活の始まりは散々だった
日本人と同じようなアジア人の顔をしているのに、文化も違えば、言葉も違う。
苦しみ抜いた一年目、日本に帰らせてほしいと何度も親に泣いて訴えた。
まぁ若さとは恐ろしいもので、二年目には韓国語にも慣れ、文化にも馴染んでいった。
私には幼い頃からピアニストになるという夢があった。
韓国で親しい友人もできたし、それなりに楽しかったけど
やっぱり生まれた国が違うことで苦しむこともあった。
疲れたとき、悲しいとき。ピアノだけが心のよりどころになっていた
しかし才能のある奴らに次々と会い、私は凡人だということに気が付いてしまった
俗にいう挫折である。
それでも音楽に携わりたくて、進学先の短大でクラシックだけでなく、popミュージック、
作曲、編曲の仕方などを学んだ。自分の気持ちをつらつらと詩にする癖もついた。
そのうち、自分の曲を世に出す、ということが夢になった。
でも一筋縄ではいかないのが人生。そんなに世の中甘くはない。
まずは現場で働いて、力をつけよう。
そう、そして、芸能プロダクションであるプレディスに
楽曲制作のアシスタントスタッフとして入社できたのである。
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作者名:sani | 作成日時:2018年3月26日 16時