＃215．IN THE SUMMER ページ45
*
「瀬那さんが鼻歌って珍しいですね」
『そうかな？』
ご機嫌ですね、の言葉に、だって楽しいもんと返す。前々日(本当は日を跨いでいたから前日)の夜中にエイトのたつ以外のメンバーでオールナイトニッポンの収録を行い、家に帰って気絶するように眠ってから、飛行機に乗り、南の島へと飛んで来て今に至る。
世間がほんの少しだけ新型ウイルスに順応し始め、世の中の働き方が大きく変わってきたらしい今、私が存在する所謂芸能界も、手を替え品を替え仕事の仕方を模索しつつ少しずつ動き始めてきていた。
「瀬那さん、いきいきしてますね」
『すごく久しぶりに感じるんだよね、こうして外でMV撮るの。それにさ、丁寧に立ててきた計画が一気に崩されて、やっぱりみんなどこかキリキリしてしまうとこもあったけど、そういうの忘れて心から楽しんでる姿見てるの、幸せなんだよね』
撮影の間の空き時間。7月の少し湿った生暖かい風が吹く中、今回も同行してくれている結城さんとそんな話をする。
考えなければならないことが数多くある中、それらを忘れて、開放的な気分にでもなれているのだろう。いや、もしかしたら、この瞬間だけでも何もかも忘れたいという願望なのかもしれない。
でもなんだっていい。
なんだって、楽しんだもん勝ちなのだ。
「Aー！次だってさ〜！！」
『は〜〜い！！』
遠くから大声で名前を呼ばれることも。
それに笑顔で応えることも。
全てが新鮮に思える。
何もかもが制限されている中で、少しずつ心の中の器に積み上げられてしまったストレスを、一気にばら撒くこの感じ。
『ね、結城さん。こういうことなんだよ』
一年以上の付き合いとなった結城さんは、時々私のことを掴めないと言う。そしてまさに今もそう言いたげな顔をしている。
そんな彼女を横目に、小走りで輪の中へと向かっていく。
頰に当たる生暖かい風。夏らしいロングスカートの柔らかい生地が揺れて、それが更に風を感じさせる。
「A、なんかあった？楽しそう」
『ふ、バレた？すんごい楽しい』
「どうしたの、やけに素直じゃん」
『私はいつも素直なんです』
「うそつけ」
『さぁどうだか』
メンバーの声が音となって耳に入る。
非日常的な環境に何でもない会話が飛び交う。
『───ずっと嵐でいたいな』
そんな音は、ビュッと強く吹いた風へと乗せる他なかった。
*
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 158人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：r | 作成日時：2024年2月3日 18時
