掃除婦の観察日記２

名前、教えて 前編 ページ32

就職が決まって、見付けてきた一人暮らしの部屋。そこへ引っ越したのは、入社数日前のこと。業者に搬入だけ依頼して、荷解きは自分でやろうとしたんだけど。正直、そこの手間を舐めてた気がする。
「……はあぁ」
まだ全然途中だけど、ベランダに出て缶コーヒー片手に部屋の段ボールから現実逃避。で、下の道を見るとはなしに眺めてた。だから、運命ってヤツは偶然が連れてくるんだって思うよね。だって、さ？
「……可愛いなあ」
少し離れた、横断歩道。信号待ちしてるショートカットの子が。なんかこう、視界に飛び込んできたわけ。あの感じだと、俺より頭ひとつぐらい小さいんだろうな。て、ことは隣を歩いてたら上目使いに話しかけられたりとか？なんて考えてたら、無情に青になって。人混みに消えてくその子を、気付けばただずっと見てたんだ。
「この辺に住んでるのかなあ」
だったら良いな、と思って。次の日も、また同じ時間にベランダから眺めたけどダメで。歩いてった道を、なんとなくうろついても会えなかった。残念だけど、仕方ない。きっと、たまたま用事があったのかなって思いはしたけど……でも笑っちゃうよね？
だって、入社日。本社のオリエンテーション会場へ行ったらさ。新入社員の待機場所でちょこん、て座ってるんだよ。あの子だ！って思って受付の人に名前名乗るの、一瞬忘れちゃったもん。
「今日からお世話になります。神宮寺、勇太です」
リストにチェックしてもらう為、だけど。正直、あの子に聞こえたら良いなと思った。このリストに書かれてる、たったひとつの名前。先に来てるなら消されてるどれか、ではあるんだけど。
「座席は、受付順になります。5列目へどうぞ」
レジュメを受け取って、用意されたパイプ椅子に座る。あの子は、２つ前の3列目。隣とかすぐ後ろなら話しかけるきっかけもあったんだろう。でも。
俺の、斜め後ろからなら自然に観察できる。封筒に書かれた所属や名前は見えないけど、こういう時は自己紹介がつきものだし。と、思ってたら案の定。
「さて、それではオリエンテーションを始める前に１人ずつ立ち上がって所属、氏名など自己紹介してくれ。これから共に働く、同期に向けて」
偉い人のスピーチが、正直ありがたかったのは。それくらい、あの子の名前を、その声で聞ける瞬間を待っていたからだった。

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