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レッスンが終わると、佐倉くんはすごい速さで荷物をまとめて部屋を出ていった。
「待って」と声をかけても、気づく素振りも見せなかった。
追いかけないと。
本能的に体が反応して、佐倉くんの後を追った。
絶対に、後悔するから。
佐倉くんに会えなくなった時はまだスマホを持っていなかったから、お互いの連絡先も知らない。
このまま二度と会えない可能性だって、ある。
実際あの日から出会うことはなかったし、これからもないだろうと思っていた。
幸いにも私の家と同じ方角に歩いていった佐倉くんを、走って追いかけた。
追いついたところで、「待って」と腕をつかんだ。
佐倉くんが気づいて、私の顔を見た。
何かを決めたような表情で、佐倉くんが無言で手を動かした。
それもスムーズに、滑らかに。
手の動きが速すぎて、何を言っているのかほぼ読み取れなかった。
でも、一番最後の「ごめん」だけは理解できた。
涙を流しながら指を動かす佐倉くんを見ていると、私の頬にも涙が伝った。
「何で佐倉くんが謝るの……」
伝えたいのに、伝えられない。
分かってあげたいのに、分からない。
人生最大級のもどかしさが、私を襲った。
『分からない。ごめん。また会いたい』
ついさっきのレッスンを思い出しながら、ゆっくり動きを確認して手を動かした。
佐倉くんが、驚いた表情になった。
それから私の目を見てもう一度、『ごめん』と伝えてから、私に背を向けて歩き出した。
追いかけたい気持ちはゼロではなかったけれど、ただ佐倉くんの後ろ姿を泣きながら見送ることしかできなかった。
その場に立っているだけで、精一杯だった。
「覚えて語ろう 手話教室」の看板と私だけが、夜の闇の中に残された。
佐倉くんの手話は、明らかになれた手つきだった。
そういうことなの……？
「佐倉くん」
一縷の望みをかけて小さくなっていく背中に呼びかけてみるけど、やっぱり振り返ってはくれなかった。
聞こえないから、答えてくれない。
その冷酷で無慈悲な事実を突きつけられたことで、私を支えていた何かがガラガラと音を立てて崩れ落ちていった。
目の前にいたのは佐倉くんじゃなくて、別の誰かだと信じたかった。
スマホの着信音で、ふっと我に返った。
「春尾先生」の文字に、慌てて「応答」を押した。
「もしもし」
「次のご予約はいつもの時間でよろしいですか？」
「えっと……今日と同じ曜日の時間でお願いします」
「分かりました」
もしかしたら佐倉くんは、毎週この日のこの時間帯にここに来ているのかもしれない。
そう思うと、自然と言葉が口をついて出た。
一人きりの帰り道は、静かだった。
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