俺の胸倉を掴んでくれ (ページ47)

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わたしが初めてこの部屋に来た日。
わたしはそれまで彼が喫煙者だって知らなかった。
だって彼はわたしの前では一本だって吸わないから。

なんとなくの冗談で『一本吸いたいな。』って強請ったことがあった。

だけど「Aを喫煙者にしたくないからダメ。」って断られたんだっけ。

自分は吸うのに。

………おかしいね。

些細なことだらけなのに、こんなに鮮明に覚えてるなんて。
記憶力に自信はないはずなんだけどな…。

苦しい気持ちの中に少しだけ懐かしさが生まれて、無意識のうちに煙草の箱に手が伸びる。

「こらっ。」

声がして後ろを向くと、いつの間にかお風呂から上がっていた彼が優しい顔でわたしを見ていた。

わたし何分ここにいたんだろう？
自分の中では一瞬だったのに。

「お嬢さーん、なあにしてんの？笑」

お風呂上がりのぽわぽわした雰囲気で冗談ぽく柔らかく微笑む彼に、不謹慎にも顔が緩む。

『ふふっ。』

…あっ。どうしよう、声が出ちゃった。

「何笑ってんだよ。笑

ったく。いつから煙草吸うようになったんですかー？笑」

見慣れているはずのいつもの彼に胸の奥がドクドクと音を立てる。

だけどその心音がわたしを一気に冷静にさせた。

急に生まれた平和な空間に途端に居心地が悪くなる。

『ごめんね。すぐ取りに行ってくる。』

ーパシッ

彼の横を通り過ぎて、そそくさと玄関に向かうわたしの手首が掴まれた。

犯人は一人しかいない。
だからわたしは振り返らない。

「さっきみたいに笑ってよ。」

彼の柔らかい声が両耳に優しく響く。

「A。こっち見なくていいから、俺の話聞いて。」

早く手を振り解いて歩き出さなきゃ。

そう思うのにそれを躊躇う気持ちに邪魔されて動けない。
どんどん掴まれる力が強くなる。

彼の手はやっぱり温かくて、それが余計に罪悪感に拍車を掛ける。

…