113話 ページ13
聞きたいことも粗方聞き終わり、インクで黒く染まったメモ帳を閉じてポケットにしまおうと手を動かしながら、私は改めてお礼の言葉を口にする。
「貴重なお話をありがとうございました、緑谷君」
「どういたしましてっ。でもぼ、僕なんかの話が役に立てればいいけど」
「そうご謙遜なさらなくても、緑谷君のお話は十二分に役に立ちますよ」
「そうだといいんだけど……あ、そうだ! もし良かったら轟君にも話を聞いてみたらどうかな? 同じクラスだし僕から声をかけておくよ」
「結構です」
緑谷君のその言葉に、私はそう即答する。
晴れやかな笑顔を浮かべながら告げた彼とは対照的に、"轟君"という単語を聞いた瞬間自身の口元からは笑顔が消えていくのが分かった。
緑谷君と同じクラスで"轟"という珍しい苗字ということは、間違いなくあの人だろう。
あんな人から聞く事など、何一つとしてない。
「えっ?」
「今日はお時間いただきまして、本当にありがとうございました。緑谷君の益々のご活躍をお祈りしておりますね」
それでは失礼します、と先程とは打って変わってにっこりと笑みを顔に貼り付けたまま言い終わると深く頭を下げてその場を後にした。
既に生徒の姿もなく誰ともすれ違うことのない広い廊下を早歩きする私の脳裏に、先ほどの緑谷君の戸惑ったような困惑したようなそんな表情が思い返され自身の足がピタリと止まる。
「……はぁ」
思わず深いため息が自身の口からこぼれ落ちた。
ため息なんてあまりよく思われない行為だが、周りに人っ子一人いない今の状況で苦言を呈する者などいないのだから少しくらいは許してほしい。
いやしかし、いくら自分が奴に良い感情を抱いていないとはいえ、緑谷君にあんな態度をとるのは間違いだった。
あの時の緑谷君は、完全に善意の心で申し出てくれていたのは彼の目を見れば明らかであった。
善意の塊のようだった彼に対して、私はいったいなんて態度をとってしまったのだろう。
そんな全身を掻きむしりたくなるような自己嫌悪を感じながら、前髪をくしゃりと握りしめた。
そうして再び深くため息をついた瞬間、前の方から聞き覚えのある声で名前を呼ばれ反射的に顔を上げた。
「あ、人使君」
顔を上げたそこにいたのは、体操服姿の人使君だった。
人使君のすらっとした首にスポーツタオルを掛けてあるのを見る限り、きっと先生との訓練後なのだろう。
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作者名：長月シキカ | 作成日時：2023年11月18日 17時
