【HSJ】懐中時計とセピア色３ (ページ28)

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「……伊野ちゃん！」

名前を呼んで、一歩、また一歩と歩み寄る裕翔くん。
伊野ちゃんは薄く開いた瞳に、その姿を映す。
裕翔くんは伊野ちゃんの目の前に立って、息を小さく吸い込んで言葉を放つ。

「……こんなところでお別れなんて、そんなのあんまりだよ…！」

「……ごめんね。でも覚えていて……俺は、裕翔のことを忘れた日なんて一度もないんだ。そして、これからも……変わらない。」

「何で……そんなの、今更っ…！！」

大粒の涙が裕翔くんの両目から溢れる。
それにつられて私の視界もぼんやりと滲む。

初めてこっちの世界に来た時は、どうしようもなくて。
ただ不安だけで締め付けられていた。
けれど伊野ちゃんの優しさに触れて、段々と不安や恐怖がなくなって。
いつもその優しさと笑顔に守られていた。

伊野ちゃんは一瞬苦しそうに顔を歪めたかと思うと、最後の力を振り絞ってゆっくりと手を伸ばす。
その手が裕翔くんの頬に触れ、溢れる涙を拭った。

「……さあ、家に帰るんだ。こんなに冷えてちゃ風邪を引いてしまうからね」

「嫌だ…！伊野ちゃんも一緒じゃなきゃ！」

「……無責任で、寂しい思いばかりさせてしまったことを……どうか」

──許してくれるかい？

その言葉と同時、伊野ちゃんの瞳から一筋の涙が零れた。

その瞬間、裕翔くんの頬に触れていた伊野ちゃんの手がさらさらと桜の花びらになって舞う。

それは、さっきの化け物が散っていくのと同じように。

「嫌だ！！まだ…！まだ俺は何も…！！」

必死に伊野ちゃんの手を追いかけるけれど、その全てが桜の花びらへと変わっていく。
そうしてすべてが花びらへと変わって、その花びらはまるで裕翔くんを優しく包み込むようにして消えてしまった。

空を掴む裕翔くんの手。
その瞬間、誰も言葉をかけられなかった。

「伊野尾くん……」

たった一言。
高木さんが、名前を呼ぶ声だけが暗い神社の中で木霊した。

いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。
年が明けた、暗い夜のほんの一瞬の出来事。

その全てがまるで夢のようだった。

さっきまで伊野ちゃんが座っていた場所に座って呆然とする裕翔くん。
それを知念さんがそっと抱きしめて、彼はまた涙を流した。