【HSJ】懐中時計とセピア色３ (ページ24)

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「……！」

腕の中にいたはずの伊野ちゃんが、途端に動き出したかと思うと、あっさり背後に回られた。
そのまま俺の首に手を回して、低い声が耳元でざわめく。

「こんなに上手く行くとは思わなかったなぁ、もう少しだったのに」

伊野ちゃんの姿で、伊野ちゃんの声で、本当の化け物はこっちだったのに。
そうとは気づかず、ただ自分の欲しい言葉と優しさに溺れてしまった。
疑いもせずに、手を掴んでしまった。

どろり、と生暖かく奇妙な感触が首筋を伝う。
頬が痛い。
この様子だと、頬に切り傷が出来ているのだろう。
……隣にいる化け物がつけた傷だ。

「あぁ、可哀想に。怪我してる。一緒に帰ろうか、俺がきちんと手当してあげるからね」

「……黙れ、化け物」

「あれ、化け物はそっちじゃなかったのかい？」

偽物の伊野ちゃんが指をさす先には、険しい目つきでこちらを見ている本物の伊野ちゃん。
……そうだ、俺はさっき酷いことを…

──やめろ！伊野ちゃんを離せ！化け物！

……本物の伊野ちゃんに、あんな酷いこと…
じわりと涙が滲む。
ただ自分の虚しさを埋めるために、そのために一縷の温かい夢を見てしまった。
ほんの一瞬でも楽になりたいと、救われたいと思ってしまった。

「……ごめんなさい。謝って、許されないのは……分かってる」

「そうさ。今更謝ったって許してくれない。だから俺と行こう？俺なら裕翔を一人にしないし、ずっと一緒に居てあげる」

優しい声。
それが偽物だと分かっていても、つい縋りたくなってしまう。
胸が苦しい。
締め付けられて、楽になれない。

「……裕翔」

切なさを含んだ声が正面から聞こえた。
涙に俯いていた顔を上げると、同じように苦しそうな顔をしている伊野ちゃんの姿。
まっすぐにこちらを見つめる瞳。
こうやって目と目が合ったのは、何年ぶりなんだろう。

「それはこっちの台詞さ。今更謝っても遅いのは分かっているけれど、それでも……愚かなあやかしを、許してくれるかい？」

言葉にならない気持ちが、頬を伝って地面に落ちた。

「本当に許せるかい？今まで散々寂しい思いをしたんだろう？」

耳元で囁く声には動じない。
もう、寂しくなんかない。

「お前とは、行かない。俺には帰る場所がある」

「随分と強情なんだね。なら……」

首に回された手が一層強く締め付ける。
そして、ヒュッ、と風を切る音が聞こえた。