06 ページ36
.
「……知ってる」
「うん」
伊沢も誰も、わたしに言わなかった。
だけど伊沢にはあからさまにわたしに優しい時期があって、わたしが恋人の話をするのを遮る時があって。
わかっていて、気付かないふりをした。伊沢はそれを許容した。
「ここから先はお前のこと好きって前提で話すけど、いい?」
「……うん」
わたしは、覚悟をしなきゃいけない。伊沢の心を背負う覚悟を。
それは、今まで彼に許されてきたことへの贖罪だ。
「俺、今、弱みにつけこもうとしててさ」
わたしの目を見る。伊沢しか映らない目を、見る。
「お前が幸せならいい、ってつもりだったけど、お前が幸せじゃなさそうだから。……だから俺のこと好きにならねえかなって思ってる」
「……」
「俺なら幸せにしてやれるんじゃないかって」
「……うん」
「けどさ」
わたしが吐き出した失恋と同じくらい、もしくはそれ以上に、伊沢の言葉は痛々しかった。
唇の端を吊り上げて、無理に笑う。
「さっきA、抱いてって顔してたじゃん」
「……してたね」
「俺抱かないよ」
好き、の言葉とは裏腹に、伊沢ははっきりと言い切った。
「抱きたいけど、絶対抱かない」
「なんで?」
彼が、わたしを抱いてくれないこと。
それくらいならとうに知っていた。さっきわたしのそのお願いを遮ったときから、そうするつもりはないのだろうと思っていた。
だけど、彼が我慢しているとなれば話は違ってくる。
「お前が俺のこと好きになるまで待ちたいから」
「……今好きって言ったら?」
「好きじゃないだろ、しないよ」
「そっか」
「ていうか、そんなことしなくていいじゃん」
「どうして?」
「Aのこと大事だって伝えられたらいいんだろ。Aにとって、その方法がそれだったってだけで」
「……」
「大事だよ。簡単に手出せないくらい」
いとも簡単に告げられてしまう台詞。
それは何気なくて、考え抜かれた彼の言葉選び。
――彼はわたしが好きなのだ、わたしを抱きたいと思うのだ。
わたしが望む通りに抱いて、優しい言葉をかけて、わたしを自分のものにすることができるはずだ。
伊沢には、それができるはずなのだ。
それでも彼は。
わたしを大事だと思うから、そうしない。
.
302人がお気に入り
この作品を見ている人にオススメ
「短編集」関連の作品
感想を書こう!(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
ぶっく。(プロフ) - どの作品も本当に素敵で、すべての話で心を動かされました!文章がとても綺麗……!最高の7名がそれぞれちがう時間を軸にした物語を展開されていて、本当にそれぞれちがう良さがありました。読んでいてとてもとても楽しかったです!ありがとうございました! (2020年4月8日 4時) (レス) id: 19fcfdccc5 (このIDを非表示/違反報告)
餅兎(プロフ) - 神作者の皆様、執筆お疲れ様でした!どれもこれも素敵な作品で、一つ更新される度に胸を躍らせていました。本当に素晴らしい作品を有難う御座いました…!! (2020年4月8日 0時) (レス) id: 10f5dc34bc (このIDを非表示/違反報告)
還元(プロフ) - いろさん» 読んでいただきありがとうございます。この後もまだまだ素晴らしい作品が続きますので、どうぞ最後までお付き合いください!コメントもありがとうございました! (2020年4月4日 1時) (レス) id: 0ea79b5d61 (このIDを非表示/違反報告)
はるむにに(プロフ) - 神々の集まりですね、、本当すごいです(語彙力)次のお話も楽しみにしております! (2020年4月1日 22時) (レス) id: 33dd96b3e7 (このIDを非表示/違反報告)
いろ(プロフ) - なんと…凄い神々が集まって作品をお造りになられたのですね、一話目から凄かったです。皆さんの見れるなんて…最高です。ありがとうございます。 (2020年4月1日 20時) (レス) id: 5fbef9d1c0 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:830 x他5人 | 作者ホームページ:
作成日時:2020年3月29日 15時