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その日、緋色光はバーに来ていた。
そこは組織の幹部もよく利用するところで、シックでクラシックな雰囲気がとても良いともっぱら評判の場所だった。酒の味もピカイチで、ここが組織のお気に入りの場所じゃなければ毎日だって通いたいくらい程だ。
重いドアを開ければ、いつもの生演奏のピアノではなくゆったりしたジャズが聞こえてきた。今日はたまたま客がまだ一人も来ていないらしい。空いているときは必ず座るカウンターのとある席に座れば、何も言わずともスコッチソーダが差し出される。思わず驚いてバーテンダーの顔を見上げれば、ふわりと微笑みかけられた。
「スコッチ・ソーダ。いつも最初の一杯で飲んでいらっしゃいますよね」
彼はそれだけ言うと、静かにグラスを拭き始めた。
組織に潜入を初めてから知ったこのバーに来てそれなりに経つが、彼の声を聞いたのは初めてかもしれない。オレは話すことが好きだからここに来れば結構バーテンダーの人が話しかけてくれたのだが、彼ではなかったので。
黙ってグラスを煽れば、丸い氷がふちに当たってカランと耳障りの良い音がする。
香ばしさと、ツンと鼻にくるような独特の刺激臭。年代物なのかまろやかな口当たりのこの店のスコッチは、緋色の好みであった。
しばらくぼうっとしながら酒を楽しむ。喧騒も嫌いではないが、この沈黙こそ今の自分が求めていたものであった。
……沈黙は、己の思考を深くまで落とす。
そうせざるを得なかった。
今までに何人殺したかしれないし、これからもたくさん殺すかもしれない悪人だった。自分がこの組織で『スナイパー』として使える存在だと証明するためにも、もしかすると日本の治安維持のためにも、殺した方がいい存在だった。
スナイパーは、ライフル銃で仕事をする。銃は人を殺す武器であり、それを仕事道具とするならばと、とうの昔に覚悟を決めたはずだった。
それなのに。
指を掛けた引き金の重さが、スコープ越しに見えた血飛沫が、ゆっくり死に絶えていく相手の姿が、伽藍堂になった黒い瞳が頭から消えない。
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作者名:深海 | 作成日時:2022年9月24日 21時