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「実家の母が、送ってくれるの。小さい頃から、風邪をひいたときはこればっかり飲んでいて。」
そうなんだ、と言いつつ、七五三掛さんはなぜか嬉しそうに頷いていた。
お湯がカップに落ちる音、スプーンが底に当たる音。懐かしさに耳を浸しつつ、目を閉じる。
「…さっきは、ごめんなさい。」
「全然いいよ。俺こそ、ちゃんと気づけなくてごめんね。」
「……怒ってないの?」
「怒らないよ。」
「私、まだ怒ったところ見たことない。」
少しだけ見てみたい、怒ったところ。
そう呟くと、短い沈黙が私たちの間に挟まった。
「…いいものじゃないよ、人が怒ったところなんて。」
諭すような口調で言われることが、なぜか今は嬉しく感じられる。今日は、うんと子供に戻ってしまいたい気分なのかもしれない。
柚子茶の香りが、ゆっくりと近づいてくる。でも、目を開けられない。「寝ちゃった?」と少し困ったような声を聞きながら、私はするりと眠りの穴に落ちていった。
それほど深くはない眠りから私を引っ張り上げたのは、小さな物音とどこか慌ただしい気配だった。
横になったときはかけていなかったはずの毛布を体から丁寧にはがして、ベッドから降りる。
「…帰る?」
私の声に、玄関にうずくまっていた背中が小さく震えた。どこか焦ったような七五三掛さんの瞳が、私をとらえる。
「ごめん、起こしちゃったね。」
すぐ戻るから、と付け加えながら、七五三掛さんは靴ひもを手早く結んだ。
「何か、あったの?」
「…うん、ちょっと。」
そう言って立ち上がった彼の目を、私はじっと見つめる。手を握るよりも、強く。
「……家に置いてきちゃって、薬。」
「大丈夫なの?」
「うん、昼に飲むやつだからさ。ついでにお昼ごはんも買って、戻ってくるから。」
「でも、外雨だよ。わざわざ戻ってきたら、大変。」
「いいの。俺が、戻ってきたいから。」
ちゃんと寝ててね、と言うと、彼は雨の中に飛び出して行ってしまった。
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作者名:おさと | 作成日時:2023年4月16日 19時