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「…それ、何の薬?」
私に背中を向けていたはずの七五三掛さんは、いつの間にかこっちを向いて私の手元を見つめていた。コンセントから抜かれたヘアアイロンのプラグが、だらりと床に落ちている。
「……Aちゃん?」
「言いたく、ないです。」
どうして私だけ、言わなくちゃいけないの。
口からこぼれた声がまるで自分のものじゃないみたいで、私はハッと息をのんだ。でも、一度外に出てしまった言葉はもう飲み込めない。
七五三掛さんは、澄んだ目を少しだけ見開いて、それから何かを考えるみたいに黙り込んでしまった。
「…Aちゃん。」
しばらくして、うつむいた私の頭上から静かな声が降ってきた。顔を上げるどころかますますうなだれてしまった私の頭に、意外なほどはっきりと骨の固さを感じる手が触れる。
「今日は、お家でゆっくりしよっか。」
優しく言われた瞬間、気づかれたんだと分かった。どこまで察せられたのかはわからないけれど、肝心なことはお見通しなんじゃないかと思う。
そう思ったら急に情けなくなって、私は子供みたいに彼の胸に額を押し付けた。
「…せっかく、楽しみにしてたのに、」
「また行こうよ。今度は、晴れの日がいいね。」
そう言って私の髪にそっと指を通すと、七五三掛さんは私をベッドに優しく座らせた。
「何か温かいの飲みたいね。キッチン、借りてもいい?」
ちゃんとキレイにしていたか確認する余裕もなく、私は黙って頷いた。優しい手がゆっくりと離れて、少しするとキッチンの方からお湯を沸かす音が聞こえてきた。
「ねえ、これ何?」
遠慮がちに開けた戸棚から七五三掛さんが取り出したのは、小さめの瓶だった。柚子茶だと答えると、興味深そうに瓶を持ち上げる。
「俺も、飲んでみていい?」
もちろん、と答えると、シューシュー鳴る薬缶の音にまぎれて「ありがとう」が返ってきた。
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作者名:おさと | 作成日時:2023年4月16日 19時