・ ページ16
「私が誰かの大きい声におびえるたびに、よく父親に呆れられた。大げさだって。」
いつの間にか、私の方が頭をなでられていた。肩に頭をもたれさせた状態の私の髪を、すくように撫でる指先が、時々耳と頬に触れる。
「…ごめんなさい。七五三掛さんは、こんなにご家族のこと大切に思ってるのに。」
「どうして謝るの。自分の気持ち、誰かと比べる必要なんかないよ。…それに、Aちゃんだって、大切に思ってないわけじゃないでしょ。」
私が頷くと、七五三掛さんは控えめに口角を上げた。それから少しの間を空けて、今度はいたずらを思いついたような笑顔を浮かべる。
「もし『ごめん』って言うなら、まだ俺のこと名字で呼んでることくらいかな(笑)。」
「あ、ごめんなさい…。」
呼び方は好きなようにしてほしいけど、名字呼びは寂しいからできればやめてと、前々から言われていたのに。
「…怒った？」
「うん、めっちゃ怒ってる。」
そう言いつつ、わざとらしくむくれる顔はどこか楽しげだ。おかしくなって、私たちは顔を見合わせて笑った。
「来年は、お花見したいね。」
ひとしきり笑いあった後、七五三掛さんは何気ない口調でそう言った。私も、そうだねと相槌を打つ。
「…どうして、こんなに早く散っちゃったのかな。」
それは、残念がっているという言葉で済ませるにはあまりに物悲しい声色だった。今年の桜が散ったのを惜しんでいるわけではないと、一瞬で分かる。
「…帰りたいよね。」
「うん、帰りたい。」
彼が帰りたいと切実に願っているのは、お母さんも元気だった頃の家なのかもしれないと、私は思った。帰りたくても、もう帰れない。記憶の中の、短くて美しい思い出に。
私と七五三掛さんが抱えている寂しさは、全くの別物だ。彼と家族を遠ざけたのは、無情な病気と家族への愛情。私と家族を遠ざけたのは、生まれた環境にすら適応できない私のままならなさと、それが必ずしも家族に理解されないことに対する切なさ。
それでも、同じように帰る場所が遠ざかってしまった私たちは、桜を散らした雨が暗い窓に打ち付けるのを、肩を寄せ合って見つめていた。
「しづ心無く」終
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 146人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：おさと | 作成日時：2023年4月16日 19時
