七十二 ページ22
「！」
回廊が突如大きく揺れ動く。
意思を持った生き物のように曲がりくねり、亡者たちの行手を阻む。
厄王は烏揚羽を飛ばし、生者の元へと急がせる。
けれど、烏揚羽は生者に届く前に回廊の壁や地面から伸びる手に囚われる。
「醜女か」
囚われた蝶はその手の中で逃れようともがいた。
クスクスと笑う声と唸るような低い声が辺りに木霊し、蝶を捕らえた手から奪おうと別の手が伸びる。
「！ っ！」
片方の手が片方の羽を掴み、もう片方が別の羽を掴む。
思いっきり引っ張り合う手の力で羽は悉く引きちぎられる。
その度に腕や脚に走る激痛に、身体中から冷や汗が噴き出す。
地面に落ちる揚羽蝶に群がる醜女たち。
やがて、その手は地面に膝をつく厄王に迫る。
「成る程、生者はあくまで囮。道理で」
醜女は黄泉津大神の手下だ。
いわば亡者たちの叶わない願いが生み出した想いの塊。
黄泉路を経ても輪廻の輪に還る事が適わない者たちは、肉体を求めて生者の多肉を欲する筈だ。
「全て、見抜いておいででしたか。ならば」
胸元に手を当て、唇に歯を立てる。
切れた噛み傷から滲む血を口に含み、霊力で練り上げる。
「そんなに欲しければ、差し上げますよ。最も」
薄く開いた口。
ふうっと吐き出した息から無数の蝶の群れ。
「それらは、貴女たちのような穢れが大好物なのですが、ね」
真っ黒な羽を広げる蝶の群れが、醜女の手の周りを漂う。
羽ばたく度に落ちる鱗粉がその手に触れると、みるみるうちに干からびていく。
耳を劈くような悲鳴があちらこちらで上がり、蝶を払い除けようと滅茶苦茶に手を振り回す醜女たち。
「今の内に、迷い家へ」
地面に落ちた烏揚羽の多くは、弾けるように姿を消していく。
残った烏揚羽が回廊を繋ぎ、奥へと導いてくれる。
亡者道を歩く生者に構っていられる余裕はどこにもなかった。
一人一人、現世へ導くには時間も手間も、何もかもが足りない。
醜女が反応しているのは、厄王が連れた蝶だけだ。
「必ず、あるべき場所に帰します。だから、今は」
亡者道を駆け抜けながら、生者の真横を通り過ぎる度に、厄王は無事を祈り謝罪するしかなかった。
逃れる厄王とそれを追いかける醜女。
その攻防が幾度か続き、醜女の手が厄王に触れる寸前、唐突に終わりが訪れた。
「！ 抜けた？ っ！？ 違う、これは」
“ヨク、来タワネ。待ッテイタワ”
次の瞬間、地面を踏んでいた足の感覚が消える。
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作者名：朔夜 | 作成日時：2019年4月8日 14時
