散歩 ページ2
「お母さん、私の小説が今度舞台化するって言ったの覚えてる？」
「もちろん。Aが順調に夢を叶えていて、お母さんは嬉しいわ」
東京で買った花を花瓶に活けながら問いかければ、母は笑顔で頷いてくれた。
時雨和歌。それが母の名前だ。一と綾乃とAと大志、兄弟4人を生んで育てた人。無償の愛で包み込んでくれる、優しい人。優しさ故に父の言葉に深く傷ついて、精神を病んでしまった。
Aはそんな和歌に元気になってほしくて、こうして病室に足を運ぶのだ。
「その舞台のキャストを決める、最終選考に行ってきたの」
「どんな人がいたの？」
和歌のベッドの横の丸椅子に腰掛けて、Aは嬉しそうに微笑んだ。
「有名な人ばかりだった。……翔子ちゃんもいたよ」
「翔子ちゃんって、あの？」
「うん、幼馴染みの佐鳥翔子ちゃん。主役で舞台に立つの」
和歌の、Aと同じ薄茶の瞳が見開かれ、やがて嬉しそうに細められた。
「翔子ちゃんも、もう有名な女優さんだものね。すごいわ。Aの作品も、知らない人なんていないんじゃない？」
「翔子ちゃんはともかく、私は…」
「ここの看護師でも、何人かAのファンだって言う人がいるのよ」
和歌の言葉にAは嬉しそうに微笑んだ。
「そうなの？嬉しい」
口元に手を当てて、心からの笑みを浮かべる和歌の手をAは優しく握る。
細い指が心をギュッと締め付ける。家事と育児を両立して頑張っていた母は随分と細くなってしまった。
「お母さん、ちょっと散歩に行こう」
「ええ、そうね」
通りかかった看護師に和歌を車椅子に移してもらい、Aは病院の庭に出た。患者さんが自由に寛いでいるその空間で、車椅子を押して歩いた。太陽の光が降り注いでいて、気温もなかなか高い。
「崎山つばささんに会ったの。私の好きな俳優さん」
「あら。良かったじゃない」
その声に、前のような覇気がなかった。前に会った時はこんなに弱っていなかったはず。こんなに痩せてはいなかったのに。
「今日、バスが来るまでの間、偶然会ってお茶してきたの。本当に幸せな時間だった」
肌だって、こんなに青白くなかった。本当は精神の病はとっくに良くなっていたのではないか。和歌の足は歩くことができない。それほどに、細く、不健康な色をしている。
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作者名：星ノ宮昴 | 作成日時：2020年6月14日 15時
