雪中の梅花 ページ12
Aは、いつの間にか住んで十三年になっていた家を、思い出のたくさん残る愛しい我が家を出て、据えられていた鳴柱邸を家とした。良いところは気の早い梅の木が植わっていて雪中に薄紅が咲くことだけだ。だだっ広く寒々しい家に一人。心に隙間風が吹くような、急所や重要な臓器を忘れてきたような心細い気分だ。だが、額田の影に怯えてずっと一人で寂しく縁側に座っている。
「…疲れたな。誰か、程よい近さに居てくれたら良いのに」
否、遠ざけたのは私自身か、と自嘲した。愛しい人に累が及ぶのを恐れて、自ら繋がりを絶ったというのにこのザマだ。寂しくて寂しくて仕方がない。孤独を蠱毒に詰め込んで煮とろかす。雷雲のような怒りに変質したそれが丹田にたまった。
その出会いは落雷のような衝撃だった。継子に欲しいと思える人材が居たのだ。美しい稲魂をやってみせた、翡翠の瞳の剣士。その技の秀麗さに思わず見惚れたのだ。己の悪い噂も忘れて継子に勧誘してしまった。悩んでいるようだったので、急いで結論を出さなくとも良いと告げれば、彼はその話受けます、と即決した。それが一ヶ月前の話だ。
「あの時は断られるかもって思ったよ」
君は、私の悪い噂を知っていただろうからさ、と呟くAに翡翠の瞳の剣士、獪岳はにかりと笑う。
「好機を逃すとでも思いました?」
忙しい鳴柱様が直々に俺だけ見てくれるなんて待遇は中々ないでしょう、と宣うのだ。
「私は一人をじっくり育成したいんだよ。それに、君の生き残ってれば勝ちって気概が好きだ」
「師範」
「ん?」
「酔ってます?」
んふふ、とAは肯定とも否定ともつかない返事を上機嫌に返した。獪岳は溜め息を吐いて、空きっ腹の上に疲労した状態で酒を飲まないでくださいよ…と呆れた目で見てくる。
「でも、それがないと教える側としてもなんとなく空しい。逃げることは悪じゃないし、死ぬことは美徳ではない。死んで残るのは記憶と骨と灰と遺品だけだ。だから、君が継子になってくれてうれしい」
「その辺にしてください。ほら、布団を敷いておきましたから寝てください」
素直に引っ張られながら、Aの口は止まらない。
「生命力が強いところも素敵だよ。なんたって…」
獪岳は照れ隠しのように力技でAを寝かせた。気絶させたとも言う。
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作者名:契 ゐと(元 いときち丸) | 作成日時:2022年8月8日 20時