靄、愛、碧。 (ページ1)

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靄ページ1

目が覚めて寝台から跳ね起きたとき、隣からグリムの呑気な鼾が聴こえてくることにAは安堵の息を吐く。背を伝う不快に冷たい寝汗を後ろ手で荒く拭ってから鼻を覆いそうな程長い前髪を片手でぐしゃりと握り潰した。不快感の重い靄が心臓にのし掛かっている。
「あー、最悪…」
寝起き特有の腫れぼったい声で呟いて、物理的に頭を冷やすため、洗面所で顔を洗った。うがいをし、頑固に絡まった寝癖まみれの癖毛を解きほぐして首もとまで襟の詰まった白い麻シャツをアイロンに当てて、制服を着る。微かに余る胴回りが毎度のことながら憎い。
「嗚呼、厭だな…。」
学舎に行けば女だとAを疑う先輩がいる。前の世界で言われたような“これだから女は”や“女の癖に”なんてもうゴメンだ。鏡の中で間抜けた顔をしている自分を睨み付けてグリムを叩き起こしにかかった。
　
憂鬱なことは芋蔓式にやって来て、苛つきだけを残していく。グリムとエースとデュースがまた問題を起こし、何故かグリム以外の分も尻拭いをせねばならず、嘲笑われながらもやっと拭き掃除を終わらせることができたかと思えば、他三人のやり方が雑でやり直さねばならず、双子の人魚の垂れ目の方には絞められて窒息しかけ、階段では背中を押されて落ちかけ、散々だった。
「監督生サン？どうしたの？そんな怖い顔で手なんか見て…」
「あ、なんでもない。なんでもないよ。」
話しかけてきたエペルにAはっとして慌てて取り繕った。
「そう…？あ、そうだ。林檎がばっちゃから…あっ、おばあ様からいっぱい送られてきたんだけど、食べる？多分夜になっちゃうんだけど…。」
何も訊かない優しさが心に沁みる。
「…うん。有難う。」
じわじわと温かさがにじんでふにゃりと力の抜けた笑みを浮かべた。
「じゃあ、今日の１９時に行くね！」
「うん。」
部活動の開始を告げる予鈴で別々の方向に2人は別れた。
　
　エペルとの会話で多少回復したとは言え、Aの精神は磨耗している。馴染めない環境での無意識下のストレスと人の倍やる復習による睡眠不足が塵も積もれば山となり、身体に干渉する程になっていた。
「…あ」
無意識に切れていなかった長い爪を腕に突き立てていたせいで皮膚が裂けて血液が表面張力で丸く玉になる。雨が降り始めたような音で朽ちかけた寮の床に血痕が散る。その瞬間、Aは気持ちが軽くなってしまった。心因的な痛みを対価として全く釣り合わない肉体的な痛みに変換してAは恍惚と笑った。