『月の影 影の海』 陽子が失ったもの、得たもの ページ6
ネットで十二国記の感想を探しているときに、
「十二国記では陽子が何を失ったかが書かれていないから、私は十二国記はそこまで優れた作品では無いと思う」
というような文章を発見し、「陽子も結構色々失ってるよ?!」と思ったため、備忘録という意味合いもこめて、まとめてみることにしました。
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陽子が失ったものは
「大人に庇護される立場」
「婚姻関係を結び、子をもうけ育てる幸せ」
「病気・老衰などの穏やかな死」
一方で得たものは
「本当の友達」
「覚悟、強さなどの精神的成長」
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「大人に庇護される立場」
蓬莱での陽子は高校生であり、自分で働かず親に養ってもらっています。それだけでなく、高校生というのは、先生や親から「自立しなさい、自分で責任をとりなさい」と言われていながら、実際に失敗をすれば大人が助けてくれます。
しかし、常世では陽子は一人きりで異世界に放り込まれ、物語の序盤から自分の手で妖魔を倒すことを余儀なくされます。また、常世での旅の間、陽子はずっと自分で自分の行動を決め、その責任も自分で負っています。旅の間に出会う人が信用出来る人か見極めてくれる人はいませんし、迫り来る妖魔に退治するのも自分です(冗祐はついてますけど)。
そして、最後に、慶国の王になるかどうかの決断をするのも陽子自身です。不老不死となりこれからの生のすべてを王として過ごす、自国の民に対して責任を負う。国の舵を取るのは王、舵取りを間違えたときに倒れるのも王。官や麒麟はあくまでその決断の判断材料を与えるのみで、決定権は陽子にあります。
「婚姻関係を結び、子をもうけ育てる幸せ」
これに関しては結婚して子を育てることだけが幸せではない、と怒られそうですが、そういった種類の幸せが存在し、王となった陽子がその種類の幸せを失うことは確かですよね。
つけくわえれば、王となれば「平凡な幸せ」は手に入らないものですので、これも失ったものにふくめてもいいでしょう。
「病気・老衰などの穏やかな死」
王が死ぬのは「麒麟が失道し、王も道連れとなったとき」「麒麟が失道し、王が禅譲したとき」「民が立ち上がり王を討ったとき」の3つの場合のみです。
このどれもが、「王の政治が道を失った」という前提条件を持っています。つまり王になった人はみな、賢君のまま死ぬことができなくなります。いずれの死に方も穏やかな死とは言い難いでしょう。
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