【十二国記】泰麒の性格について(「風の海迷宮の岸」「華胥の夢(冬栄)」「黄昏の岸暁の天」「魔性の子」ネタバレ) ページ3
泰麒可愛いですよね、今年の新刊も戴国の話だとかでもう楽しみですよね!!
ということで泰麒についてダラダラと語っていきたいと思います。
あいにく私の手元に「魔性の子」と「黄昏の岸暁の天」がないので、もう一度蓬莱に戻る前の泰麒について考えていきたいと思います。
まず、泰麒が素直で純粋で可愛い、っていうのには全力で首を縦に振ります。振りすぎて首が取れるぐらいに振ります。が、それを語りだすと収集がつかなくなるので、今は横においておきます。
えーと、泰麒は自己肯定感がとても低いと思います。
「風の海迷宮の岸」に書かれている、泰麒の幼少期の話では、「自分がいるから家族がうまくいかない」という思いを強く持っていることがわかります。
この思いについてもう少し掘り下げていくと「自分がいるせいで周りに迷惑をかけている」「(そんな迷惑をかけるような)自分はここにいていい存在なのか」という思いがあるとわかります。
幼いころの環境や経験というものは、後々の性格に大きな影響を及ぼすとされています。この「自分のせいで」という思い、考え方が泰麒の行動等の根底にあるのは間違いないと思います(たぶん)。
現に、蓬山に来てからも
“もしもキリンじゃなかったら、ぼくは蓬廬宮にいちゃいけない。うちにいちゃ、いけなかったのと同じに”
“「ごめんなさい……」――できそこないで。愛情をもらうばかりで。何一つ、期待に答えられないで。”
と自分はここにいてもいいのか、と悩む様子が見られます。
また、景麒と泰麒の対話部分では、泰麒が愛情をもらうことに怯えているような気がします。何もせずに愛情だけをもらうのではいけない、と考えているのかもしれません。
子供は何の条件も無しに、愛情をもらうべき存在。それにもかかわらず、愛情をもらったから何か返さなくては、と考える泰麒が可愛そうで愛しいです。
区切りが悪いのですが、字数制限に引っかかるので次のページに続きます。
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