宝物 ページ44
❀
｢し……新条さん？｣
しんと静まり返ったテラスで、明日人の声が響いた。いい歳をした立派な大人が、齢十四程の少女に深々と頭を下げている光景は異様だ。事情を知らない者が見ようなら、当惑するのも無理はない。
｢新条さん｣
気を紛らわすために飲むフリをしていた空のティーカップを置くと、Aは名を呼んだ。目尻を下げて謝られても、何の文句も浮かんでこなかったのだ。
｢どうして謝るんですか？｣
｢それは君が一番よく知っているんじゃないかい？｣
｢質問を変えます。どうして私に謝ったんですか｣
｢君の精神に負担をかけるような真似をしたからだ｣
明淡々と交わされる二人の質疑応答。間に挟まれるような形で座っていた明日人は、頭上で言葉が飛び交う度に、両者の顔を交互に一瞥しては見ていた。
それから暫くもの間、無言で見つめあっていたAと新条であったが、ついに痺れを切らしたのか｢…はぁ｣と少女の小さなため息が明日人の耳を掠める。
｢一星充くんとは短い期間だったけど……彼と過ごした時間は、私のまだ短い人生の中でも大切な宝物です。その事に変わりはありません。だからそれを、否定するような謝罪は聞きたくないんです｣
声がだんだん曇って来て、涙を見せまいとするかのようにAの顔が自然とうつ向いていた。恋をしている少女の目の光にも似ていたが、どこか切なさのようなものも感じられる。
｢それに、私自身も大切なことに気付かされて、充……ううん、光くんのおかげで、また成長出来ました。そのことには、本当に感謝しているんです｣
ふと明日人が視線を横に移せば新条もまた、そんなAの姿を見つめたまま寂然として、一層唇を固く閉じ、眉根に深く刻んだ皺を動かしはしなかった。
｢彼と出会えたから、今の私がいる。少し大袈裟かもしれないけど……心から本当にそう思うんです｣
そう言って、瞳を閉じたA。黒く、綺麗に整った長い睫毛は綺麗に空を向いている。薄らと透明の液体が浮かんで見えるのは気の所為ではないだろう。
｢正直、一星くん自身のことは、まだ私の頭の中では整理できていないんです。……だけど、例え時間がかったとしても、私なりに受け止めるつもりです｣
｢A…｣
窪んだ目の底から止め処なく溢れる透明の涙を人差し指で片方ずつ綺麗に拭ったAは顔を上げると、屈託のない目を細めて天真爛漫な笑顔を見せた。
(それが、君の新たな覚悟の証……というわけか)
(…はい)
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作者名：小雪
| 作成日時：2019年7月16日 12時
