ep.28 ページ29
Sara Side
一年が経った。
私は彼に付いて✕✕に移り住んだ。
話の通り何もない土地やったけど、確かに「ええ所」やった。
私はAさんと呼ばれるようになって、歌うことを辞めた。
肩につく程の黒髪を束ね、住んでいるこの古いマンションから程近いドラッグストアで働いている。
日中は、品出ししてレジしてクレーム処理して、家に帰り、ヴァイオリン教室で教えてきたあの人と二人で夕食を食べる。
あの人はその後ホテルに出掛けて行って、私は一人で家のことをして寝る。
その繰り返し。
慎ましくも幸せな日々。
ここには反社会的なすべてが存在しない。
銃声も紫煙も拍手も何もなかったけれど、私の今までの一切もなかった。
私はこれまでの誰でもなかった。
男達に微笑む歌うたいでもなく、無愛想な人殺しでもなく、奔放な孤児の娘でもなく、叶わぬ恋に身をやつした馬鹿でもなかった。
ただ、日々を暮らしている。
よく笑うあの人と海のみえる町で買い物をし、洗濯をし、道を歩く。
これが幸せというものなのか。
私の過去には存在しなかったもの。
「普通」と呼ばれる人々の暮らしがそこにあった。
何の思惑も、陰謀も私にはなかった。
抱えているものはあの部屋に置いてきたから。
ずっと戦い続けてきた足枷から開放され、ただ海風に吹かれる松のように生きている。
季節はまた冬になっていた。
この一年、私は変わった。
自分を愛してくれる人と、海辺の町で大切にされて暮らしている。
あんなに意地を張って守っていたものも、今は全て捨てた。
この人の為なら良いと思ったから。
私を、あの甘く苦い地獄から連れ出してくれたから。
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作者名：ゆうみ | 作成日時：2020年8月22日 11時
