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もらった名刺には、「中村海人」と書いてあった。俺の名前が「松倉海斗」だと知ると、同じ「かいと」だと言って意外なくらい無邪気な笑顔を見せる。
『びっくりしたよ、2人が知り合いだったなんて。』
中村さんと俺の前にお茶を置いてから、如恵留が言う。俺が説明するより先に、中村さんが両手を動かした。
『知り合いっていうか、松倉さんが歌ってるところに俺が遭遇して。それで、ちょっと話しただけ。』
なるほど、と納得したように頷いて、如恵留が俺の隣に座る。その表情はもう仕事モードになっていて、これ以上雑談をする気はなさそうだった。
始まった打ち合わせは、スムーズに進んだ。俺も意見を出せたし、中村さんも如恵留の「とにかくわかりやすく、親しみやすくしたい」っていう要望を正確につかんで提案をしてくれた。
大体の方向性が見えて、今日は打ち合わせ終了になる。忙しいだろうから、と見送りを断って、中村さんは事務室を出て行った。
「…あ!」
中村さんの姿が見えなくなってから、俺は大事なことを思い出した。
昨日、俺の歌に足を止めてくれた理由。聞こえない中村さんにとって、あの時間は何だったのか。
ダメだってわかってるのに、どうしてもそれが聞きたくなって、俺は施設を飛び出して中村さんを追いかけた。次会うときに話せばいいのかもしれないけど、そのとき俺がここにいられるとは限らないから。
「…中村さん!」
ダメだ、後ろから叫んでも気づくわけがない。俺は、走るスピードを上げた。
「中村さん、待って!」
やっと追いついて、中村さんの正面に回り込む。昨日呼び止めたときと同じように驚いていたけれど、その顔に警戒心はにじんでいなかった。
『昨日、どうして…』
動かしていた両手が、途中で震え出す。その時、俺はやっと足元がふらついていることに気づいた。
「…っ、ゲホゲホっ!」
咳き込む俺を支えようと、中村さんが腕を伸ばしてくれる。
でも、その指先が俺に触れるより前に、俺の体は固いコンクリートの上に崩れ落ちてしまった。
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おさと(プロフ) - 6chanさん» 6chan様、コメントありがとうございます!短編のシリーズからお読みいただいていたとのこと、とても嬉しいです😭引き続き、こちらの作品にもお付き合いいただけますと幸いです! (2023年3月9日 22時) (レス) id: de6645fa3a (このIDを非表示/違反報告)
6chan(プロフ) - 短編の時から好きなお話でした。が、まさか、更に障害系要素が増えて、更にこれからが楽しみです! (2023年3月9日 0時) (レス) id: f726c31193 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:おさと | 作成日時:2023年3月4日 19時