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この道場も近い内に取り壊されると聞いた。嫌だ、嫌だと言っているのは私だけだ。
道場の帰りに海へ行こう。身を投げよう。道場までもが無くなってしまうなんて、本当に私には何も残らない。もういい、もういいよ。
道場に足を踏み入れると、鼻を突いたのは汗が染みた独特な匂いではなくて、埃を被り、黴臭くなったものだった。
何だか一気に年月を重ねてしまったような道場に、寂しさを覚えてしまった。
いや、流れゆく歳月に戸惑い、立ち止まってしまっている自分がいる、ということを自覚してしまったことに寂しさを感じた、とでも言おう。
自覚してしまった時点で、もう時は進んでいるのだ。貴方がいなくなっても時間は進むのだ。
私自身が、進んでいない、そう強く思っても進んでいる。もう進んでしまっている。それに耐えられない。
「……実弥、来たよ」
道場の真ん中に私は座った。いつだって、温かく包んでくれていた陽光は、どうしてか小さく感じられてしまって、ただただ、冷たくて苦しい。
寝転がって、天井を見た。昔と変わらない木目があった。私はそれに安堵した。木目の時は止まっている。私と同じように。
右手を伸ばした。そして空を掴んだ。そこには何もなかった。虚しいだけだった。
その時だ。私は猛烈な吐き気に襲われて、右手で咄嗟に口元を押さえた。
口一杯に酸味の強い吐瀉物を感じた。口の端から少しずつ漏れてくるそれは、粘稠とした液体で、掌を撫でる感触が凄まじく、気色悪かった。
しかし、その不快感も打ち消したのは道場に入り込んだ風で、その風が私の腹部を撫でた瞬間に、あるものが私の身体を駆け巡った。
─────下腹部から何かが脈打つのを感じた。
その鼓動を感じ取った私の瞳からは、堰を切ったように涙が溢れ出た。
嗚呼、きっと、きっと、私のここにいる。絶対に。絶対にいる。
─────実弥との間に宿った命がここにいるんだ。
泣いた。呼吸もままならないぐらい泣いた。声を張り上げて泣いた。実弥、実弥、と彼を呼んだ。
私の繋ぎ止めていたのは、実弥であり、この命だったのだ。まだほんの小さな命と、優しい貴方が私に教えてくれたのだ。生きろ、生きろって。
周囲が急に明るくなったように感じた。温かい陽の光に包まれた道場がそこにあった。
どうしてか、天井の木目もこの光に踊っているように、楽しそうにしているように見えた。
ふいに、懐にある風車を私は取り出した。
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蓮(プロフ) - 環さん» 環さん、コメントそして労い言葉有難う御座います!本作は私自身悩みに悩み一度は本気で削除しようと思ったお話なので、お褒めの言葉がとても沁みます(;_;)風車は重要な言葉の一つでしたので環さんの考えを聞けて私は嬉しいです!最後まで本当に有難う御座いました! (2021年6月12日 10時) (レス) id: 1ceb99e799 (このIDを非表示/違反報告)
環(プロフ) - 蓮さん完結おつかれさまです、ありがとうございます。すごくすごく美しいお話でした。コメントさせてもらうのも恐縮でしたが、この感動をお伝えしたいなと思いまして。最後に風車が回ったのも夢主が前に進めた、時がやっと進んだのかなと思いました。素敵なお話でした! (2021年6月11日 18時) (レス) id: 940f9d3174 (このIDを非表示/違反報告)
蓮(プロフ) - 猫巻さん» 猫巻さん初めましてコメントそしてお祝いのお言葉も有難う御座います!苦しい鬼殺の世界でも希望を忘れずに自分らしく生きようとする夢主で御座いました!理解し難いお話でしたがそう言って頂けたこと最後まで猫巻さんに読んで頂きこちらこそ本当に有難う御座いました! (2021年6月11日 16時) (レス) id: 1ceb99e799 (このIDを非表示/違反報告)
蓮(プロフ) - りりさん» りりちゃんコメントありがとう!雰囲気や軸がブレないようにいつもより慎重に言葉選びしたから本当に書いた甲斐がありました…そしてりりちゃんの考え方が本当にその通りすぎて素敵です。りりちゃんの考えを知れてよかったです!最後まで読んでくれて本当にありがとう! (2021年6月11日 16時) (レス) id: 1ceb99e799 (このIDを非表示/違反報告)
蓮(プロフ) - 唯梨さん» みいちゃん、コメントありがとう!好き嫌いが両極端な話だけど読んでくれてありがとう!それぞれの意味はみいちゃんの好きなように受け取ってね、否定的でも何でも私は構いません!みいちゃんの考え方を尊重します!こちらこそ最後まで読んでくれて本当にありがとう! (2021年6月11日 15時) (レス) id: 1ceb99e799 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:蓮 | 作成日時:2021年5月8日 20時