File.10-13 ページ40
名を星河夏彦、というバー『ジタン･カポラル』の店主。
七夕を前面に押し出した偽名だが、本名が天川織羽なだけあって中々な拘りを感じる。一人七夕状態のこの店主の素顔を知っているのは果たして何人いるのやら。そもそも彼が女性だと知っているのが何人存在しているのかも定かでは無い。
「私が店に入り浸ってるから、迷惑がったあの人に無理矢理連れて来られたんでしょ？」
シャーリーを半分程減らして「迷惑かけてごめんね」と付け足せば、未だ驚愕が残っているのか、少しずつグラスを傾けて中身を喉へ落としていた彼が小さく苦笑を滲ませた。
「いや、確かに驚いたけど...感謝してる」
テーブルに戻されたグラスが氷を揺らして涼やかな音を奏でる。空いた手が伸びてきて、飾り気の無くなった灰髪を緩やかに撫でながら「お陰でちゃんと謝れたからな」なんて苦笑の色を濃くする彼に、次第に申し訳無さが募って。
「次家出する時は日本に居てあげないから」
身体を寄せて胸元へ手を添えながら、柔らかい頬へ吻を押し当てる。
また可愛くない事を言ってしまうのはご愛嬌と許して欲しい。
緩く笑みを返してくれる彼がお返しにと額へ口付を落としてくれるが、可愛げの無い大きさの宝石を抱えた店主の所為で直ぐに体温が離れていく。男でも無い上に赤の他人、という訳でも無いので気にしなくて良いのに、人の目があるという理由は大きいらしい。
「どうぞ」
「ちょっと、快斗が構ってくれないじゃん」
ニコニコと房の葡萄を差し出してくる店主に「タイミング考えてよね」と頬を膨らませるが、絶対態となだけに申し訳無さそうな表情が返ってくる事は無い。
「乳繰り合いたいならさっさと帰りなさい」
笑顔、というより威圧に近い満面の笑み。色白の優し気な男性から発せられた、毅然とした女性の声。溜息を吐く私とは対称的に、吃驚と肩を跳ねさせる快斗。
自分だって出来る癖に何を驚く事があるのやら。
渡されたスピネルを受け取りながら立ち上がり、其を快斗へ流す。釣られて立ち上がっていた彼は、自然な動作で宝石を受け取って店内の照明に翳して眺め始めるものだから、染み付いた癖というのは恐ろしい。
「ねえ、あれ持って帰って良い？」
一度崩れた口調を戻す心算も無く、粉々に砕けたつつトランプは突き刺さり弾が食い込んだ儘の鏡を指差す。
あの鏡とスピネルの葡萄が我が家のインテリアに加わるのは数十分後の話。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 28人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：雪兎。 | 作成日時：2024年2月11日 1時
