File.10-3 ページ30
「これ良かったら」
購入したものを詰め込んだ買い物袋をカウンターに置けば、変わらぬ笑顔の儘「有難う御座います」と甘ったるい声が返ってくる。
ミルクティー色のストレートヘアを片耳に掛けた、中性的にも見える顔貌に浮かんだ微笑は数多くの女性客を魅了してきたのだろう。背の高い青年は雰囲気に似つかわしく無い買い物袋を受け取って、すらりと細い指がサングリアをカウンターを滑らせて寄越してくる。林檎と蜜柑を入れたステムレスグラスに揺れる赤紫は、ワインなのか葡萄ジュースなのかは分からない。
「宜しければ、どうぞ」
「シナモンは挿さないんですか？」
差し出された其を受け取りながら緩く首を傾げれば、微動だにしない笑みの儘「仏蘭西では問題無いですよ」と返してくる。私の知る限りこの身体には1/4しか仏血は流れていない上に、此処は日本なのだが、まあ提供したのは私ではなく店側なのだから私が責められる理由は無い。
「.....じゃあ、有難く」
そもそも、この程度の犯罪など今更気にしても仕方ない。
受け取ったグラスを片手に、店内奥隅のフェイク暖炉のあるアンティークソファセットに座る。数段上がったフロアの壁も勿論本棚で埋められていて、座った儘でも何かの本に手が届く。
そんな店に揃えられているのは小説から写真集、文学書から稀覯本に至るまで様々であり、適当に手を伸ばした先の本の表紙には『The Hound of the Baskervilles』の文字。この店にある書物は一通り読んでいるからシリーズものの途中でも、まあ問題は無い。
表紙を開いて一文字目から緩りと視線を滑らせる。
暫く、も無い内に店主の男性が平皿に並べたカナッペをテーブルへ乗せつつ「すみませんが、」と口を開いた。
「ディナータイムに向けて買出しに行って参りますので、暫くお任せしても宜しいですか？」
店を任せる、なんて普通客に言わないが、客とは思われていないだろうから仕方ない。緩やかな笑みに向けた視線を店内へと滑らせれば、反対側の隅に人影。此方へ背を向けて座りながら本を捲る男性が一人いるだけで店内は他の客は無く、その男性のテーブルに乗っているブランデーも未だ余裕がある。
「何かあれば適当にしておきます」
ひらりと手を振って再び文字へ目を落としていれば、流れるように髪を掬い上げて「Je vous remercie」なんて言いながら濃いグレーの糸束へ口付けを落としていく。
何処ぞの紳士より余程紳士らしい。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 28人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：雪兎。 | 作成日時：2024年2月11日 1時
