File.10-2 ページ29
耳元で『仕方ないわね、もう...』と聞こえてくる声に軽く謝罪しながら席を立つ。
鞄を手に廊下へ出て、靴を履き替えながら「また今度ね」と返して校舎から出れば、スマートフォンを仕舞うと同時に背後を振り返る事無く足早に校門を潜った。今日は何処を迂回して帰ろうか、なんて考えつつ普段の帰路とは反対の方向へ曲がり、十数m後ろで微かに揺れる気配を一瞥して一気に駆け出す。
走りながら適当な角を幾つか曲がり、人気の無い路地へと入り込んだタイミングで他校の制服へと早替えを済ませてショートボブのウィッグに付け替え、眼鏡も外して大通りに出る。
此処までで17分。
一応後方に気配は感じられないが、かと言って油断は禁物。
暫く暇でも潰すかと洋服店に入って青のワンピースと白いカーディガンを購入し、靴屋で黒のレースアップサンダルを買う。それを抱えて街中を適当に散策して、小物雑貨屋で見付けた金色のバレッタをひとつ購入。
羽根の形をした可愛らしい金色は、適当では無く私の趣味。
平日にも関わらず賑わうデパートで化粧室に入り、制服からワンピースに着替えてカーディガンを羽織る。靴を履き替えて、ウィッグを外した地毛を編み込みのハーフアップに纏めてバレッタで留めれば、平日マダムの完成。マダムと呼ぶには顔面が少しばかり若い気もするが、そればかりは素顔なので致し方無い。
化粧室を出た後、地下の食料品売り場で果物や乾き物、菓子類を見繕って店を出る。
買い物袋片手に、大通りから一本入った区道の脇。看板も何も無く口を開けた数段だけの階段を下った先。黒い鋳物門扉を開けて更に階段を降りて、踊場で左に曲がる其を下れば、重々しい雰囲気さえあるヨーロピアン調の黒い扉が出迎えてくる。
相変わらず看板も立て札も無いその扉を開ければ、ふわりと甘い香りが頬を撫でた。
「いらっしゃいませ」
優雅で優しい笑顔と、静かで穏やかな声。
さらさらの明るい茶髪に、映える程の白い肌。グレーのシャツに紺色のネクタイ、黒のジレを見に纏った、バーテンダーと執事の間の様な雰囲気の男性は見た目だけで言うと二十代後半から三十代前半程。足を踏み入れた店は、カウンターに数席とアンティークソファのテーブル席が幾つかある薄暗い雰囲気。
壁一面に本棚を備え、席の頭上からは読書用にライトの灯りが降り注ぐ、ライブラリースタイルのバー。
昼間はカフェ、らしいが一般客など滅多に見ない。
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作者名:雪兎。 | 作成日時:2024年2月11日 1時