File.7-3 ページ36
「疲れてるだろうから大丈夫」
眼鏡を外してウィッグを脱ぐ。流れてきた自髪をヘアクリップで纏めていれば「だっせえ...」なんて項垂れる彼が目に入って、何故かは分からないが自分が早起きして自分が朝食を作りに来なければならないという責任感があるらしいと推察される。
真面目なのは良いが、自暴自棄になるのは如何なものか。
「押し掛けて来たのは私なのに、何で快斗が落ち込んでるの」
学ランなら上着を脱げば良いが、セーラー服は脱げないのが不便ではあるものの仕方無い。袖を捲って買い物袋片手にキッチンへ向かいながら「それに」と付け足してデニッシュ食パンと卵を取り出す。
「私は快斗のご飯好きだけど、快斗が私のは食べたくないかも知れないのに来たんだから...ここは怒るところじゃない?」
キッチンから幾つかの調理器具を拝借していれば、気配を潜める事無く背後に立った彼が羽交い締めにしてくる。いや、羽交い締めと言うより抱き着くと言った方が正しいのだけど、これから料理しようとしている人間に抱き着くなんて羽交い締めと大差無い。
「んな訳ねぇだろ...惚れた女の飯食いたくない男なんていねぇよ」
「.....じゃあ、作れないから離して」
朝から何も口にしていないお陰で無事だが、満腹だったなら吐いてるかも知れない位の力加減で抱き締めてくる腕を軽く叩いてみても、腕が緩むどころか何も言わず肩口に額を押し付けてくるばかり。寝起きの所為でこうなのか、将亦自分のペースを崩された所為なのか珍しく駄々を捏ねる子どもの様。
それなのに、嫌な気分にはならないのだから不思議なものだ。
「ほら、早く支度してきて。じゃないと一緒に作れないでしょ?」
首許を擽ってくる遊び髪に頬を押し当てながら再び腕を叩けば、渋々と体温が離れていく。置き土産に耳許へ触れた温もりと「直ぐ戻る」と残された声に、思わず跳ねた肩は吃驚しただけ。
そう言い聞かせて眉を顰めて背後を振り返る私と、何かを楽しそうに笑いながら纏めた髪を掻き乱すように撫で回してキッチンを後にする快斗。
一人で悪態を吐く気にもならず吐き出した溜息は、何処にも触れず溶けていくだけ。
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作者名:雪兎。 | 作成日時:2024年1月27日 11時