第59話 ようやく ページ9
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あっという間に初日が終わった。
他の部員を見送り、部室の扉をパタンと閉める。
鍵をかけるときの金属音と、下校時刻を知らせるチャイム。黒尾くんの咳払い。
さっきまでの賑やかさとは大違いだ。
琥珀色に染まった高い空に、わずかに見惚れた。
「どうだった?初日」
誰もいないのをいいことに、黒尾くんは私の手に指を絡める。
部活中のよそよそしさも相まって、触れるのは何だか久しぶりな気がした。
この際、あのキスはノーカン。
握り返すと、胸のあたりがざわざわと揺れて、きゅうっと苦しくなる。
自分の意思とは反対に、頬は緩んで熱を持つ。それが黒尾くんを喜ばせるとも知らずに。
「疲れた。頭パンクします」
正直な感想を述べると、黒尾くんは『そりゃそうだよなぁ』と、のんびり呟く。その横顔は、主将の顔とは大違いだ。
そう言うと、『Aの前で猫被ってどうすんだよ』と、苦笑いした。
私の前では、素直でいたい。
言葉の裏に隠された本当の気持ちを読み取って、勝手にドキドキした。
「……鉄くん」
素直な君へのご褒美。……なんて大層なものじゃなくて、本当はずっと呼びたかった、あなたの名前。
タイミングわかんなくて渋ってたなんてのは、私のための言い訳にすぎない。
「ふたりのときは、鉄くんって、呼んでいい?」
そう言うと、彼はフハッと恥ずかしそうに笑った。
「名前呼ばれてこんなに嬉しいの、今が初めてかも。……うわ、なんか照れますね、こういうの」
らしくなく、嬉しそうな顔してる君。
私だけに見せてくれるそんな一面が、たまらなく好きだと思うんだ。
『好きだよ、鉄くん』とか、いつもは口にしないことを、さらりと溢して、肩に体を寄せてみる。
ここは学校で、さらに言うと部室の前なんていう事実は、私たちの頭の中からは、すっぽりと抜け落ちた。
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作者名:pomme | 作成日時:2024年2月25日 22時