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_きらり、不意に光る銀色に自分の表情が写った。
きもちわるい。
思わずナイフを本能で投げ捨てる。ナイフはそのまま遠くの波間に勢いよくぶつかった。そこらがまっかに、水の中から血が吹き出るように光った。瞬間、手からつま先まで全てがほどけてしまいそうな感覚に陥る。こわい、その一心で海へと飛び込む。おぼろげな視界を保とうと目を閉じた。しかし、自身の身体は水音を立てることなく何かに受け止められた。
「やっぱりあなたは刺せなかったでしょう。だから言ったというのに、あの方たちはあげたのね。」
澄んだテノールの声が、小波みたいに優しく鼓膜を揺らす。どこかで聞き覚えのある声だった。掴むように人物を見つめても、この霞んでゆく視界の中では視認することすら難しかった。
「おばか。あなたは本当におばかですわねえ。あのまま刺せばいいものを。ナイフまで投げ捨てちゃって。」
はっきりしない視界の先に、確かに目の前の人物はこちらに向かって微笑んだように見えた。
刺々しい言葉とは裏腹に、優しく私の額を撫でるようにして髪を掻き分けられた。人だと言うのに、なんと心地のいい温度なのだろう。きっと全てが還っていく感覚に耐えきれなくなって、麻痺しているから、そうに違いない。
少しでいいから触れていてほしくて、主張するように目の前に手を伸ばそうとした。が、手は悲しくもでろり、と空を切って溶け落ちていった。あぁ、もう駄目なんだ。そろそろ魂もなにも、跡形もなくこの世を通り過ぎてしまうのが、こわい。助けを求めるように、言葉にならない声が口から漏れ出す。目の前の人物は、それに相槌をひとつひとつ、返した。そして。
「えぇ、」
「好きよ」
そう一言言われた瞬間、私の身体は小さな水音を立てて、崩れ落ちた。
意識もなにもかも、波に掬いとられて、薄れゆく、霞む、わたしは、海と綯い交ぜに
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作者ホームページ:なし 作成日時:2023年1月14日 18時