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「お兄ちゃんっ、知ってたでしょ！！」
息せき切って家に帰って、着替えもせずに鞄を持ったまま駆け上がった階段。
あっという間に辿り着いたアトリエの開け放たれた扉に立って、中にいる人に呼び掛ける。
もう文句に近かった。
「え？おかえり？」
「ただいま！じゃなくって、マツジュンさん！生物の松本先生だったよ！？」
そう告げると、きょとんとした瞳。
キャンパスに向かい合っていた筆を持ったまま、お兄ちゃんが笑った。
「やっと気づいたかぁ。いつかなって話してたんだよ」
「なにそれ！笑ってたの？」
「んなことないよ。でも良かった」
「なにが」
「Aここに来たの久しぶりだろ。松潤に感謝だなぁ」
「っ、着替えてくる」
「A、」
お兄ちゃんの呼びかけを振り切って背を向ける。
本当だ。
なんて久しぶりに三階への階段を上ったんだろう。
お父さんとお母さんが逝ってしまってから、あんなに近寄りもしなかったのに。
お兄ちゃんの柔らかい笑顔の向こうに、あったかい春の日差し。
思い出すのは、家族四人そろって幸せだった日々。
はやく、早く、ハヤク、大人になりたい。
「はい、Aちゃん」
「‥‥ありがとうございます」
「どしたの、すごい顔してるけど」
その週末、いつもみたいにマツジュンさんがやってきた。
いつも通りにケーキの箱を私に渡して、いつも通りに勝手にコーヒーを準備する。
自動で豆が粉砕されている間に、三階に上がっていく。
勝手知ったる他人の家って感じ。
私はケーキの箱を持ったまま立ち尽くしている。
良いの？だってマツジュンさんは松本先生なんだよ？
「あれ、電池でも切れた？」
「は？」
「こわ。Aちゃんそんな感じか」
「そんなってどんなですか」
「いや固まってっから。電池切れ？」
甘いもん食べて充電しようかって笑う、その顔は学校で見せる姿とは似ても似つかない。
「‥‥良いんですか」
「なにが？」
「だって松本先生なのに」
「なんでよ、なんか問題？」
「特定の生徒の家に」
「俺は友人の大野さんとこに来てんのよ」
「‥‥ですね、確かに」
ズキンって。
なんで私傷ついてるの。
馬鹿みたい。とんだ勘違いだ。
マツジュンさんが学校で私に正体を明かしたのも。
こうやって頻繁にケーキを差し入れてくれるのも。
学校とは似ても似つかない顔を見せてくれるのも。
私が大野智の妹だからなのに。
「私、勉強してきます」
「食べないの？」
「後で頂きます、ありがとうございます」
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作者名：お塩
| 作成日時：2021年6月7日 0時
