鍵盤上の踊り場の上で (ページ41)

今日:5 hit、昨日:7 hit、合計:3,287 hit

応援ページ41

「Aさんは来るよ、きっと」
先生は、僕の心にあった答えと同じ言葉を発した。それに少し安堵した僕はさらに言葉を続ける。
「なんで、そう思いますか…？」
「なんでだろうね」
その言葉の中には、わからないという意味ではなく、記憶を想起しているという意味合いが込められていた。
「あの子が逃げるっていうことが考えられないんだろうな、私は。あの子は、どんなに苦しんでも、最後には希望を持って立ち上がる子だから」
そう言って先生は天井を仰いだ。そこには、今も闘っているであろうAの姿が映っているのだろうか。
先生はAの元担任だ。だから、病気となって苦しんできたAの姿もきっと見てる。そして、そこから立ち上がったAの姿も知っている。だからこそ、Aが逃げるなんて考えられないのだろう。大好きなものを失って、それでも立ち上がれたAという少女を近くで見ていたから。
「だからさ、信じてみよう。Aさんのこと」
先生はそう言って、満面の笑みを僕に見せた。
「初めからそのつもりです」
「そう言うと思ったよ。Aさんのこと、信頼してるもんね、相原さんは。音にも出てるよ」
先生はくすりと笑っていた。そういう感情は、音に出るのだろうか。途端に羞恥心が湧き上がってきた。
だとしたら、Aの音には、どんな感情が込められているのだろうか。どんな想いが、込められているのだろうか。
ふと、そんな疑問を持ってしまった。それを先生に尋ねようか迷ったが、尋ねないことにした。
いつか、自分でわかるようになりたいから。
「じゃあ、頑張ってね。応援してるから」
「はい」
そう言って先生は立ち去って行った。ドアの隙間から風が優しく押し寄せた。
応援してる。
その言葉は、今の僕にとっての救いの言葉だった。Aのいない音楽の中に、たった1つある希望。
たった1人でも、応援してくれているということ。
たった1人でも、僕らの演奏を待ち望んでいること。
その事実が、こんなにも胸を優しく包み込むなんて。
…A。
立花先生も、わかってたよ。
Aはやっぱり、逃げるような人じゃないって、先生も信じてる。
だからさ。
早く来ないと、僕と先生に怒られるぞ？