#3 ページ33
「あの……これ、ここに忘れちゃってたので取りに来たんです」
やっと私の口から出たのは、羽生さんの言葉に何ひとつ返せていない捻くれたものだった。
「あぁ、上着忘れたの。そのためにわざわざ?」
「ホテルから近かったので、わざわざというほどでも」
「そっか。でも他にも何着かあるなら、知らせてくれれば俺が日本に行ったときにでも持っていけたのに」
「いえ。これだけのために羽生さんの労力を費やせないので」
「労力って。ついでだから全然いいのに」
羽生さんはそう笑うものの、持ってきてもらうために連絡を取ったり、直接会う時間をどこかで設けたりする必要があるのを想像すると、今日気づいて取りに来てよかったと思った。
「……さっきのはフリー、ですよね」
観ていたことを肯定する意で伝えると、羽生さんはふふっと笑った。
「そう。SEIMEI」
「セイメイ?」
「陰陽師っていう映画のサウンドトラックなの。このプロ、実は2シーズン目なんだけどね」
私がスケート情報に疎いことを知っている羽生さんは、丁寧にそう教えてくれた。
2年前に使用したときに手応えを感じて、オリンピックシーズンでも滑ることを決めたのだという。
「SEIMEI、いいと思います」
「ふふ。ありがと。じゃあ、これでおあいこだね」
「おあいこ、とは」
何のことか分からず聞き返す。
「俺、昨日Aちゃんのフリープログラム観ちゃったからさ。でもこれでおあいこ。Aちゃんも俺の今季フリー観たからね」
勝ち誇ったような表情で羽生さんは言った。
繰り返しになるが、私は全くもって隠していたつもりはない。
私のプログラムを羽生さんが見ようが他のスケーターが見ようが、私に関係のあることではないし。
でも逆に、羽生さん自身がプログラムを非公開にしていたなら話は変わってしまうし、少なからず私には罪悪感というものが存在している。
本人がおあいこと言うのならそれでいいか。
87人がお気に入り
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名:たこやき | 作成日時:2022年9月18日 20時