第32話(E side) ページ32
自宅の明かりを付け、荷物をおろす。
喉が渇いてキッチンに直行すると、冷蔵庫をあけてミネラルウォーターのキャップをまわした。
｢‥‥‥‥ふぅ｣
程よい酔い加減だ。
脳みそがふわふわと浮かんでいるような感覚のまま、ベットに身を投げる。
天井を見上げながら、深く息を吸った。
｢‥‥めっちゃ楽しかった｣
そう、めっちゃ楽しかった。
念のためもう1度言うが、めっちゃ楽しかった。
忙しい日々を乗り越え、明日が一日休みであることを良いことに、時間も気にせず喋り倒した。
Aさんは嫌な顔ひとつせず、むしろ彼女も楽しそうに笑っていた。
あんなに女の子と楽しく話をしたのは高校生の時以来かもしれない。いやそれはないか。
しかし、それほど楽しかった。
｢(‥‥おやすみなさい、て)｣
帰り際に交差点で別れた時、俺は振り返ることを躊躇った。
本当は家まで送ってあげたかったし、去っていく彼女をせめて見送ってあげたかったけど。
変に彼氏面しても引かれるだけだからと、先に背を向けて、そろそろ彼女も歩き出したかなと、後ろ姿が見たくてタイミングを計って振り返っただけだった。
｢(Aさんも、こっち見てた)｣
正直言って死ぬほど驚いた。
だって彼女は、1歩もそこを離れず、俺を見ていたのだ。
子どもみたいにぶんぶんと手を振っていた、あの愛らしい笑顔を思い出す。
｢(やっべぇ)｣
すげぇ可愛かった。
その小さな手も、満面の笑みも、綺麗な高い声も。
酒の力も相まって、彼女の全てが狂おしい程に欲しくなって、ぶっちゃけしんどかった。
｢‥‥うう｣
少し唸って、うつ伏せに寝転がる。
何が原動力になっているのかわからないが、何かを抑えきれないとでも言うように、両手のひらがぱたぱたとベットの上を叩いている。落ち着かない、ああ落ち着かない。
困る。困る困る困る。
｢‥‥参った｣
俺、ただの客だよな‥‥。
Aさんは居酒屋の店長さんで。
俺はそこに、閉店間際にいつも駆け込む、どちらかと言えば迷惑な部類の客で。
それを裏付けるかのように、Aさんの対応はいつも変わらず店長らしくて。
だけど時折見せてくれる優しい笑顔に、少し期待を抱いてしまう。
『特別メニュー、ご用意しておきますね』
Aさんにとって、俺はどんな存在なんだろう。
いつもの常連さん。
ちょっと有名な人。
最近仲良くなった人。
考えてもきりがない。
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作者名：こばやし
| 作成日時：2017年4月2日 20時
