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知っとるん?
望は、私が、
「なぁ、だめ?」
「なんで、」
それ以上の言葉が出てこぉへんかったんは、認めたくなかったからかもしらん。
「私のこと、知っとるん?」
きょとん、と効果音がつきそうな顔で彼は私を見る。
そのあと、なにかが解けたようにふわっと笑った。
「知っとるよ。やって、好きやもん」
「好きって、なにが」
「Aの、音が」
音。
それは、唯一の私の武器やったもの。
今はもう、できひん。
「名前聞いて、思い出してん」
私の苦しさなんてまるで知らんみたいに、彼はふわふわと話を続ける。
「 “ まさに、天才ピアニスト ” 。そう呼ばれとった、『重岡A』や、って」
「わかってて、私に曲を作れって?」
冷静に放った言葉は、あまりにも鋭く尖っていたかもしれん。
「今の状態じゃピアノなんてできへん。そんなんわかるやろ?
私はもう、音楽とは関わらへんで生きてく。そう決めたんや」
事故から目が覚めて、真っ先に思ったこと。
それは、『手は無事か』なんて事やった。
外傷とか、骨折とか、そんなんはどうでもええ。
ただ、手が動くか動かないかだけ、真っ先に思ったんや。
私にとって、ピアノは唯一の生きがいやった。
こんな性格になってしもうたから、友だちはおらんし学校では浮いとる存在や。
けど、ピアノはそんなことを忘れさせてくれたし、何よりお兄ちゃんが笑ってくれるから。
自由に動かへん手を見て、どれだけ絶望したか。
言うまでもないやろう。
「そうやなぁ、ほんまに残念や。また聞きたかってんけど」
彼は私の気も知らんと、そんなことをさらっと口にした。
ふざけんな。
残念どころで済む話やないねん。
キッと彼を睨みつけて、病院の外へ足を進めた。
消えないイライラ。
自分との葛藤。
苦しい、辛い、悔しい。
向き合ってしまった現実。
もう逃げられへん。
私にピアノは、弾けへん。
すれ違う人が驚いた目で私を見るのも気にしない。
気がついたら溢れてた涙は拭わないまま、帰路をせかせかと歩いた。
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作者名:えぇふぇす | 作成日時:2018年9月2日 0時