切なく奏でて(F.T) ページ26
俺の指が好きって言ってくれてたっけ。
"ベース弾いてる時の指が好き"、って。
俺も好きやで、なんて言えたら良かったんかもしれん。
もしかしたら何かが変わるキッカケになったかも。
でも俺が好きなのは指だとか手だとかそういうことではなくて―
佐野「最初っからいきます？」
正門「そやなあ、一旦通そか」
小島「ちょお待って、俺めっちゃ置いてかれてるわ、全然分からへん」
スタジオでバンドの練習中。
新曲を暗譜して、それぞれの音を合わせていく作業。
頭を抱えたこじけんに救いの手を差し伸べるべく、晶哉がドラムセットから立ち上がった。
佐野「小島くんここがズレてるんすよ、」
ええなあ、晶哉は。
何でも器用にこなせて。
末澤「大晴は？」
福本「えっ？」
末澤「ちゃんと分かってる？」
福本「あ…分かってます、」
まっさんが右へ左へと首を動かしてストレッチを始めた。
草間「ここのメロディ好きやねんな」
正門「うわ〜！めっちゃ分かります」
メンバーと過ごす時間は他のどんな時間よりも充実している。
毎日が楽しくて賑やかで、忙しなくて悩ましくて。
青春ってこういうことを言うんやろなあ、なんて考えたり。
A「おはようございまーす」
その声に顔を上げる。
ほんの一瞬心臓が跳ねた。
別仕事から合流してきたAが荷物を置いてスタッフさん1人1人に挨拶をし始める。
律儀やねんな、そういうとこ。
A「今何してるとこ？」
正門「最初っから通すとこ」
A「ああ、オッケー」
ふと目が合う。
A「おはよ、大晴」
福本「…おはよう」
―まだ好きでいてくれてるんかな。
ベースを弾く俺の姿を、指を。
小島「え？じゃあここは？」
佐野「そこはリズムが変わ…」
小島「はあ？何で変わるん？ああもう俺嫌やあ、」
渋い顔で駄々をこね始めたこじけんに歩み寄るA。
A「こじけんどうしたん？」
小島「何か今日あかんわあ、俺。」
キャップを外して髪の毛をくしゃくしゃする仕草を目にしたAが明るい笑顔を浮かべた。
A「私好きやで、こじけんがキーボード弾いてるとこ。」
―ああ、
A「指が好きなんよ、」
もう手遅れ。
ベーシストである俺を愛してくれたAはもう、この世界のどこを探したって存在しない。
こじけんはきっと素直に言えるんやろな。
"俺も好きやで"って。
―アホやなあ、俺。
弾いた弦が揺れ、悲しげな音を奏でた。
Fin
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作者名：わさび醤油
| 作成日時：2022年9月23日 7時
