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この豊臣秀吉との戦いの後も、肥沃な嘉納家の土地は様々な武将の率いる大軍に何度も攻められ、しかしその度に地の利を活かした戦術と嘉納家の将の奮戦によって毎度撤退させてきた。嘉納家の当主の中で最も有名なのは野菊姫とその夫孝政の息子孝虎である。孝虎は母親譲りの精悍な美貌と武才を誇り、十四歳の初陣で六人もの敵将を討ち取る武功と元商人の父親仕込みの駆け引きの巧さを買われ、元服前から様々な武将から仕官の誘いを受けていた。が、故郷と家族への恋しさから度々大泣きしながら暴れたため仕官先を転々とする。母野菊姫の後を継ぎ嘉納家の当主となって以来はぱったりとなくなり、後に眉目秀麗、文武両道の稀代の名君と呼ばれた。母野菊姫の侍女の一人の嫁ぎ先である島津家と同盟を結び、島津義弘や豊久とも親交があったという。戦に援軍として幾度も参戦したという記録も残っている。
関ヶ原の戦いでは孝虎は息子と共に敵将を蹴散らし徳川方に甚大な損害を与えた。島津義弘率いる島津軍の敵中突破の際には福島正則に襲い掛かりこれを援護したという。更に、撤退する島津軍を追撃せんとする本多忠勝を島津豊久らと共に迎え撃ち、落馬しても尚強い忠勝の愛槍蜻蛉切による突きを受けて負傷しながらも、牡丹切を振るって忠勝を吹き飛ばし、怯ませたという。大将石田三成が敗走し、孝虎とその息子も捕縛されてしまう。首を落とされるくらいならと自害しようとする孝虎たちを家康と忠勝は諌め、本多忠勝の嘆願もあって、嘉納家は同盟を結んでいる島津家共々所領安泰。それどころか五万石の加領をされた。大阪城の戦いの際には、孝虎は牡丹切を携えて出陣し、先陣を切って突撃して敵将を馬上からの一振りで真っ二つに切り伏せたと伝わっている。孝虎の死後、牡丹切は嘉納家の菩提寺に奉納された。
江戸時代にこの菩提寺から年若い青年が病に臥せっている母親を助けるためにこの宝刀を盗もうとした際に薙刀を持ち上げようと触れた瞬間、薙刀は一本の南天の枝に変わり、青年が南天の枝を振ると実が床に落ちて大判小判になったという逸話が残っている。そのため、牡丹切は金運招きに縁のある刀とされている。また、青年とは違い、金儲けのために盗人が仲間とこの薙刀を盗んださいには、激しい雷雨と、盤若のような憤怒と憎悪の表情を浮かべ、鎧を着た若い女性の姿をしたもののけに襲われたため神罰と恐れをなし寺へ返還したという。
今までの主:嘉納獅子丸、嘉納家代々の当主、野菊姫、嘉納孝虎
- 金 運: ★☆☆☆☆
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作者名:ねこうさぎ | 作者ホームページ:
作成日時:2019年2月4日 9時