弍 ページ2
桐影というのは、西党でいちばん年長の爺さんのことだ。俺の叔父にあたる。
戸を開けると、彼が奥であぐらをかいているのが見える。
「おお、中影やないか。どないしたんや」
西党はいつも夜に集合する。だからこんな昼間に集会所に現れて、驚かない方が珍しい。
俺は何も言わずにわらじを脱いで畳に上がり、桐影の目の前に正座をした。
「なんかあったんか？」
「単刀直入に言うで」
俺はわざと深刻そうな顔をして桐影から目をそらす。桐影はその様子を見て、気を遣うように「なんでも言ってみい」とゆっくり答えた。
「......し、失恋した」
途端にどっひゃっひゃ！と桐影がシワだらけの顔をさらに歪めて笑い声をあげた。
「失恋ってお前、前に言うとった�霎藺紊舛磴鵑�？」
「せや」
「中影、お前よう団子屋の一人娘もらえると思ったなあ！」
桐影はまだ笑っている。時折たんが絡んだような咳をし、息苦しそうにしている。それでも笑っている。
このじじい、大丈夫だろうか。
「あの子はなぁ、昔から大事に大事に育てられてきた箱入り娘やったんや。ええ子やし、最近はほんまにいろんな人からお見合いを持ちかけられとるって噂やで」
「そ、そうなん......？」
「よう考えてみい。�霎藺紊舛磴鵑�優しくしとったんは、お前だけか？」
そうだ、�霎藺紊話�にでも優しかった。俺が落ちたなら、他の男だって落ちてしまうだろう。
「はじめから、俺に勝ち目はなかったんか......」
「まあそう気落とさんときや。江戸は広いんやから、ええおなごはもっとおる」
桐影はそう言うと、にっと笑って少ない歯を光らせた。つられて俺も笑ってしまう。
すると、桐影は「喉、渇いたやろ」と重い腰をあげた。その腰は丸く曲がってしまっていて、その体は小さく見える。
「お茶でも淹れたろ」
そのまま、部屋の奥へと姿を消す。
彼が善意だ、有難く頂こう、と待っていると、急須と湯飲みを盆に乗せて桐影が戻ってきた。
湯飲みに茶を注ぎながら、桐影が口を開く。
「中影は、今年でいくつや」
「二十九」
「そうか」
桐影が湯飲み２つに注ぎ終え、１つをこちらに差し出す。ありがとう、と受け取った。
「大きくなったなあ」
彼はそう言ってずずずと緑茶をすする。俺は、そうかなあ、と小首を傾げながら湯飲みを口につけた。
ぽつり、ぽつりと屋根から雨の音がし始めた。その音は徐々に間隔をなくしていき、しまいにはざあざあという轟音に変えた。
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作者名：伊予森 | 作成日時：2018年8月16日 20時
