歌姫は檻から出ない【中原中也】

揺らめく金髪 ページ29

「ねぇ中原さん」


ふわりと香る甘い香水


するりと撫でていく赤いマニキュア


見せつけるように動くその指先は私を不機嫌にさせるにはちょうど良かった


でもここで怒鳴りあげるのもいけないし


煽ってくるのに反応しちゃダメだし


私は溜息をつきながらグラスを磨く



そろそろ帰ってくれないかしら



「私酔っちゃったみたい。中原さん、ホテルまで連れて行ってくださる？」

はい？

酔ってないじゃないあなた

中也も何か言ってやってよ

「えぇ、良いですよ」


今…なんて言った？

微笑んで手を取っている中也に私は危うくグラスを落としそうになる


嗚呼、そうかここで断ったらいけないものね

わかってる


わかってるのに


どうしてこんなに苦しいんだろう


「じゃあ、これで」

お金を置いて立ち去る中也と女性を私は引き止めることが出来ない

その理由がない

嗚呼、もう一度雨が降ってくれたのなら

あの時のように中也の背中に抱きつけるのに


カランコロンと音を奏でて閉められた扉を


私はただ呆然と見つめるしかできなかった


中也が嫌々でしてるって言うのもわかってるのよ

これが作戦なのもわかってる


でももうこんな辛い思いはたくさんだわ


こんな思いするくらいなら


最初から好きになるんじゃなかった


私は唇を噛み締めてグラスを片付ける


涙は出なかったけど、どこか胸が空っぽになった気分だった



店を閉めて片付けを終える

裏の休憩室に行けば見慣れた姿がソファに腰掛けていた


『中也…』

「A」

どこか苦しそうな表情の貴方に私も苦しくなる

そんな顔させたかったわけじゃないのよ

「悪ぃ驚かせちまって…急に首領から許嫁だとか言われて俺も混乱してて…」

『…ううん、いいの』

優しく、ゆっくり告げれば安心する顔

「俺は結婚なんてするつもりもない。だから安心してくれA」

『もう、いいのよ』

ねぇ中也

貴方のわかりやすいところ凄く大好き

優しい所も、強い所も

全部大好き

『毎回苦しい思いするくらいなら、辞めてしまった方がいいわね』

中也は言葉の意味がわからずに私の名前を呼ぶ

「なぁ、A…」

『ねぇ中也』

真っ直ぐな瞳で見つめれば捨てられた子供のような瞳と目が合った

大好きよ

ずっとずっと

これからも大好き


だからこれは貴方の幸せのために私がすることなの


神様許してください


『別れましょう。もう辛いの』


そっか、ごめんな


泣きそうな貴方の声が小さく部屋に響いた

項垂れる→←赤いマニキュア

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す