第十七夜 君の眼に、映るように ページ19
「クロロ…さん？」
音も無く、ふんわりと傘が転がっていく。雨の音に溶けた静寂が、二人を包んだ。
雨に滲んで、強く鼻をくすぐるのは、僅か0.1センチの彼女の匂い。
彼女の中に、クロロ=ルシルフルという存在を、刻みつけるように。強く、優しく抱き締めた。
降り続ける雨は、ただ二人を濡らしていき、じっとりと匂いも冷たさも、染み込ませていく。胸の中に感じる、自分の冷えた体温に混じるのは、彼女の温度。朝になったら、何一つ残さず消えてしまう、彼女の生きている証。
オレは、あんたのこの匂いを、一瞬たりとも忘れたことはない。
このまま、こうして抱きしめてしまえば、彼女がもうどこかの世界へ帰るなんてことはない気がする。クロロはそう思った。帰ってしまうから、きっと彼女の記憶は消えてしまうのだ。
彼女のいる世界には、オレたちという存在すら、持ち帰れやしない…
「あの、クロロさ…」
戸惑いがちなAの声に、思わずクロロは我に返った。
…全く、どうかしている。これで、益々警戒を強められたら一体どうするつもりなのだ。このまま彼女に逃げられてしまえば、繋ぎ止める術なんて持ち合わせていないんだ。いや、元々繋がりなんて…
オレはただ、Aの欠片を拾って、その跡を辿っているにすぎない。
全てを拾い集め、出来上がった彼女は、思い出だけを残し消えてしまう。全てをこっちに押し付けて。自分は何一つ、なかったことにして。
雨に濡れた彼女の匂いが、より一層強まる。これのせいだ。この雨が、自分をこんな奇行に走らせた。分かっていたくせに。
手を掴んで抱きしめて、そんなことしたって、自分は何一つ彼女の中には残らないのに。
すまない、と漏れた声は雨音に溶ける。
「……驚いた？」
とりあえず、平常心を保って問えば、すごく、と返事が返ってくる。本当かよ、なんてことない顔してる癖に。
「それにしたって、落ち着いた顔してるね」
あんたは知らないだろう？ 毎日、夜が訪れるのを、心待ちにしているオレたちを。
「だって、夢？ だもの」
あぁ、本当に、夢から覚めるように。朝になったら彼女は消えてしまう。触れられても、抱きしめたとしても。現実は容赦なく彼女を攫っていく。まるで、夜は……
目を開けたまま見る、夢のよう。
＿＿＿＿この太陽は夜も輝いて夢を見る。
そして急ぐ君の眼に焼き付いて離れない。
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作者名：アユミ | 作成日時：2018年11月15日 0時
