【陰陽師】荒神と陰陽師の平安な日々【肆】

「炎上の大晦日」(伍) ページ5

「A様はどんなお願い事をなさいましたの？」


「都がいつまでも平安でありますようにと、お願いしました」


頼もしい友や仲間、お互いに大切だと想い合える恋人。


多くの縁に恵まれているAは、平凡な願い一つで充分なのだ。


「……素敵ね」


女性の口端が三日月の如く吊り上がったのを、惜しくもAは見逃していた。


「貴女はどんな……」


「うふふ、内緒です」


鈴を転がすように笑みながら、ついと女性はAから目を逸らす。


何かはぐらかされているようだが、Aは特に気にはしなかった。



「そろそろかしら」


女性の視線の先には、神社に隣接している寺の所有物である立派な釣鐘。


「除夜の鐘ですか？」


百八の煩悩を打ち消すことを望む参拝客に見守られながら、住職達が鐘をつく準備を始めている。


それは、もう直ぐ年が明けることを意味する光景であった。



女性はにこやかな笑顔をAに向けた。




「いいえ。陰陽騒乱を告げる鐘です」




花開くような笑みに、不気味な影が差す。


Aは不吉な兆候を感じ取った。


底知れない何かに目を凝らすと、女性の背後に、陽炎のように揺らぐ九つの尾が視えた。


「どうなさいましたのA様。そんな怖い顔をされて……」


怯えたように声を震わせ、潤んだ瞳でAを見つめる女性。


誰もが心を奪われる愛らしい仕草だが、今のAにとっては白々しく思うだけであった。



「貴女は誰ですか」



段々と鋭くなっていったAの両目に見据えられても、女性は微笑みを崩さない。


その態度がAの警戒心を更に募らせた。



「人ですか。それとも妖ですか」



「どちらだと思います？」



女性はAの両肩に手を置き、顔を近づける。


鼻先が触れ合ってしまいそうな近距離。


僅かに見開かれたAの瞳には、美しくも妖しげな女性が映っている。


女性はゆっくりと、Aの耳元に顔を持っていき……。



「君は俺を覚えていないのか？」



艶やかな撫で声と打って変わった、男性のような低い声を、Aの耳に吹き込んだ。



「君はあの時の女の子だろう？」



頬を撫でてくる手の冷たさに、Aは全身の血液が凍りついたかのような錯覚に陥った。



「賀茂忠行の亡骸の前で泣き崩れる、小さな可愛い、見習い陰陽師」



あの光景が蘇る。


気味の悪い笑みをたたえる人影を覆う靄が晴れ、目の前にいる女性の顔と一致した。

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