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そういう恋する乙女の悲壮な覚悟ですが、空が茜色に変わって、鴉が子を思って鳴くような時分になりましたら、すっかり打ち壊されることになりました。何故って、だってあの方、戻っていらしたのです。はい、私の家に。ええ、もちろん、それはもう。私は大変に驚きました。何しろ今朝方、今生のお別れだと思ってお見送りした好いたお人が、振り向いた先に立っているのでございます。私はその時ちょうど家の前で打ち水をしていたのですが、思わず手に持っていた柄杓をぱっと取り落としてしまいました。だって、仕方ないでしょう。あんまりにも驚いたのです。この目を疑うほどでございました。
あの方は罰の悪そうな顔で、けれどたしかな足取りで私に向かって歩いておりました。混乱した私は、さては暑さのために幻覚を見ているのかしらと思って目を擦りますが、それでもやっぱりあの方がそこにいらっしゃいます。思わず体の動きをぴたりと止めてあの方をじっと見つめましたら、あの方は困ったようにほんの少し眉を下げて、私が落とした柄杓を拾ってくださいました。それから、今日も泊めてもらえるかとお聞きになるのです。私は四の五の考える前にこくこくと首を縦に振りました。好いた人のお役に立ちたいと思うのは、恋する乙女の常というものでございましょう。この時ばかりはもう随分少なくなってしまったお櫃の中身だとか、そういう些細なことは気にしていられなかったのでございます。私はすっかり舞い上がってしまっていたものですから。
よくよくあの方にお話を聴きましたら、向かう先の海が長い間ひどく荒れているそうで、しばらく村に滞在したいとのことでした。村長にもお話はしてあると。食い扶持は自分で稼げるし、力仕事も任せてくれていいと。そういうお話の後に改めて泊まって良いのかと確認されたのですが、私の気持ちが変わっているわけもありません。悩むこともなく頷いたら、あの方はほんの少し渋い顔をなさって、もう少し危機感を持った方がいいとおっしゃいました。まったく失礼でいらっしゃいます。私は、あの方だから我が家に招き入れましたのに。事後承諾を得た弟にもうんと怒られてしまいましたから、その時の私と言ったらほとほと不機嫌でございました。思わず頬を膨らせてしまうほどでした。何はともあれそういうわけで、私はあの方としばらく生活を共にさせていただくことになったのでございます。
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作者名：鳴草 | 作成日時：2022年5月6日 1時
