Chapter 1 赤葦京治 ページ1
夏の雨は好きだけれど、真冬の雨は寒いから嫌いだった。冷え切ったローファーのつま先を擦り合わせ、ポケットに手を入れるが、凍えるような寒さは一向に改善されない。連絡手段の携帯電話を家に忘れ、おまけに傘もない。さあていよいよ行き詰まったな、とぼんやりと雨を見上げる。最寄りの駅まで15分、走れば10分で。決心し、一歩を踏み出す、
「なにしてんの、」
しんと静まり返ったリノリウムの床にアルトが響いた。気だるげで眠そうなその瞳が私を射抜く。「あかあしくん」、その名を口にして、赤葦、って綺麗だなとふとなんとなく思った。何しろほとんど話したこともないのだ。名前を呼ぶ機会もあまりない。
「この天気で傘なし?」
「あ…忘れちゃって」
間の抜けた返事をして、少し恥ずかしくなる。そういえばこのひとはかなり女子人気が高いひとだった。友人のサヤが騒いでいたのを思い出す。すっと通った鼻筋と、薄い唇は確かに端正と呼ばれるそれだった。
「ん」
「え?」
差し出された傘にまたもや間の抜けた返しをすると、ふ、と彼が少し笑った。そんなふうに笑うのか、と思った。「入ってきなよ、濡れるよ」「そんな大丈夫だよ」「いや俺だけ傘で帰るのも後味悪いし、」風邪ひくよ、と言われてしまうと断るのも忍びない。
「お言葉に甘えさせていただきます」
「ん、よろしい」
真面目で堅い印象だったが、案外面白いひとなのかもしれない。傘の柄を握る彼のゴツゴツと骨ばった手と指に、ああやっぱり男の子なんだなあと思う。バレー部らしいテーピングが巻かれた長い指は綺麗だった。
「冬の雨って、いいよね」
「え?」
「冷たくて、しんとしてて、集中できる」
会話のない状況を破ったのは、彼の突拍子もないその言葉だった。彼の言った集中とは、きっとバレーのことだろう。彼の落ち着いたその物腰から、バレーに対する真摯な気持ちはたやすく伺えた。「バレー、好きなんだね」「あ、うん」、彼は耳の先を少し赤くして口元に手を当てた。照れた時の仕草が子供っぽくてまた胸のあたりがざわついた。
「あ、ついた」
「ありがとね、助かったよ」
「いや、大丈夫」
じゃあね、また明日、と背を向けて改札を通り抜ける彼を見送る。胸のざわめきはいつのまにかリズムを早く刻む鼓動へとかわっていた。銀の粒子を映す瞳はこの世で1番美しいものに思えた。唇から紡がれた真摯な思いも。「あー……」参った、サヤになんて言おう。大嫌いだった冬の雨だけれど、心変わりしそうだ。
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作者名:くるり | 作成日時:2018年1月21日 11時