足りない私。認める貴方。【テニプリ】【忍足侑士】 (ページ10)

今日:8 hit、昨日:0 hit、合計:1,674 hit

第8話ページ10

「ただいま。」

だれも居ない部屋に声が響く。
いつもの平素なAの声はどこか弾んでいた。

パチリという音とともに点灯したLEDが必要最低限の家具しかない部屋を照らす。

遠くに住む叔父の援助と両親の遺産を頼りに細々と暮らすには
十分すぎるくらいの設備が整っているからこれで良いと本人は思っている。

この部屋だって叔父が家賃を払ってくれているのだ。
忙しい叔父は自分の家族と折り合いが付かなかったら可哀想だと
わざわざポケットマネーを使ってこの部屋を取ってくれている。
その厚意に文句は言えないし、
言う要素なんて何処にもないから素直に甘えさせてもらっている。
厄介払いではないのは、叔父の人柄でわかると言うもの。

足りないのは、暖かさだけだ。

1人でご飯を作って、食べて、洗い物をして、歯を磨いて。テレビはつけずに。
ラケットと車椅子の手入れをして。お風呂に入って、ドライヤーをかけて。
1日の終わりに日記を付けて、眠る。

明日に想いを馳せることもなく、ただ毎日決まったことをして暮らす。
ひとりぼっちの子どもが抱く不安や寂しさは小学生の時分に置いてきた。
そんなものはもういらない。
ただ、両親への償いを含めた勝利を求めて。
2人が死んだのは、自分のせいだから。
誰も文句を言えない、妬みや僻みの目も気にならない位の高みを目指すのみ。
それまでは、孤独な少女は恋心なんて知らないままの筈だった。

いつも目を閉じて真っ先に浮かぶのはその日の反省。
今日は、深い海のような綺麗な青い髪。優しい声。
今は不要な感情が、名をつけたら向き合わないといけない心の叫びが脳内を飛び回る。

悪くは、ない。
寧ろモチベーションが上がるというもの。

次の大会は大分先だけれど、いい成績を残せば。
優勝すれば、きっと、あの声で褒めて貰える。

勝利前提の鬱屈とした試合に色が付く。
先を見られる。
きっと、楽しめる。

「…眠れない。」

恋を知った1人ぼっちは、初めての感覚に戸惑いながら夜を過ごすのだった。