疑惑3 ページ26
え――？
沖矢さんって――。
赤井秀一なんだろうか。そうじゃなかったら、どうして――。彼のふろ上がりに首元に鼻を近づけた時に唯一嗅げるような――こんな匂いがするんだろう。
ロンドンのベッドのシーツの匂いって言ってもいい。
でも、赤井秀一は100万円程度を持ち歩くことを「物騒」なんて絶対に言わない。人の部屋にぽんっと1000万円放っていくような人だ。
そりゃ、背の高さや体格は近いかもしれない。
でも、口調や姿勢、口癖はもちろん、喋り方からちょっとした仕草、話の癖や思考の動き、何もかもが違う。だいたい、沖矢さんからは赤井秀一がおそらく意図することなく醸し出していた『長男』らしさが微塵も伺えない。私だけじゃなくてFBIの誰もかれもが無意識のうちに頼ってしまいそうな、そういう『長男』らしさ。そんな、行動の端々から全ての『自分らしさ』って意図的に消せるものなの？
――でも、赤井秀一が誰かに変装するなら、そのくらい完璧にやってみせるのかもしれない。
いや、でもそんなことないよね。数分に一度煙草に無意識に火をつけていたシュウが、こんなに長い間煙草を吸わずに過ごせるわけがない。
偶然――だよね？
顔が似ている人がいるみたいに、世の中には、香りが似ている人だっているに違いない。
戻ってきた沖矢さんは、すぐにカバンにしまった方がいいですよと、丁寧にお金を渡してくれた。シュウなら絶対に無造作にその辺に放り出す。
「あの……もう震えが止まったので大丈夫です。上着、ありがとうございました」
仕事に集中すると何もかも忘れられるのって本当に助かる。
「いいえ、よろしければ差し上げましょうか？」沖矢さんが冗談とも思えない口調で言うので、思わず心から笑ってしまう。確かに、欲しい。沖矢さんは近づきづらいけど、この香りはとても好きだ。
「ええ、確かにこの上着、とても気に入りましたけど私には大きすぎるのでお返ししますね」
そういって、ジャケットを背から外して沖矢さんに渡そうと彼を見上げたその時――
沖矢さんはまるでとても懐かしいものを目にした子供みたいにふわりと、嬉しそうな笑みをその口元に浮かべた。
びっくりするくらい幸せそうな表情で、私は息が止まる。
どうして、全然違う顔なのに。
私はその沖矢さんの表情が、私にアイスを買ったときに垣間見えるシュウの表情と同じに見えてしまうんだろう――
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作者名：まつり
| 作成日時：2022年10月6日 10時
