［黒］テセウスの船で前世を語る ページ38
［黒］
「ねぇグルちゃん、”テセウスの船“って知ってる？」
夕食時、シチューを口に運ぶ手を止め、唐突にAがそんな事を言い始めた。彼女の女神の如く嫣然たる様に目を奪われ、返事をするのが遅くなってしまったのは仕方が無いだろう。
「テセウスの船、か。有名なパラドックスだな。とある船を何度も何度も修復していくうちに、最初に使われていた部品は全く無くなった。ではこの船は最初の船と同じものか、だろう？」
そうだよ、と彼女は頷き、紡ごうとした言葉を飲み込むかのように水を一口含んだ。桃色に色付いた小さな唇が少し濡れててらてらと光り、幼さの中に大人びた妖艶さを感じ取れる。
昔からのAの癖だ。緊張したり、不安になると直ぐ飲料やお菓子に手が伸びる。俺が付き合おうと言った時もそうだった。曖昧な笑みを浮かべカフェオレに手を伸ばし、飲み込んでしまえば次はケーキに手を伸ばしていた。
「……あのね、グルちゃんは私の“前世”っていうのを知ってるんだよね？軍の幹部で、綺麗な金髪で、淡い夕焼け色の瞳をしていて、グルちゃんと付き合ってたんだっけ」
意を決した様子で彼女が話題として提示したのは、何度も言って聞かせたAと俺の“前世”についてだった。
「そうだ、Aと俺は恋仲だった。Aを総統夫人にする前に、国は滅んでしまったのだがな。今と前世の容姿は全く違うが、確かにAだ」
「あのね、あのねグルちゃん。今の私と見た目が違うんだよね？それに、私は“前世”なんて覚えてないんだよ。それってさ、中身も違うって事じゃない、かな？私、テセウスの船は、最初の船と修理した船は全く違う物だと思うの」
嗚呼、何を言い出したかと思えば！彼女は“前世”の彼女と“今世”の彼女は全くの別人だと主張した。何を言っているのだろう、AはAであって、姿形が変わろうとも、記憶が無かろうと、俺を拒もうと、A自身は変化しないのだ。
「何だ？そんなにも俺を否定したいのか？それとも不安なのか？どちらにしろ俺はAを愛している。やっと手に入れたんだ、手放す筈が無いだろう？」
Aは複雑な心情を表すかの様に微苦笑し、そうだね、とこぼしてまたシチューに手を付けた。何処か諦めた様子の彼女の心は何時になったら手に入るのだろうか。そうだ、前世もそうだった。こうして部屋に大切にしまい込み、恋仲の契りを交わしたのだ。
…まぁいい。今世もよろしくな。
#妄想型
［青］紫煙燻って目眩、地獄の感懐→←［赤］人間の尊厳について天使が考えた事
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 1560人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を見ている人にオススメ
「wrwrd」関連の作品
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
にあ - 待ってコメ欄に大好きな作者様がいるんだけど…いつも楽しく読ませて頂いてます作品更新頑張って下さい誠さんみそ漬けキュウリで殴るさん（限界オタク） (2022年2月26日 14時) (
レス) @page26 id: c982b0a7d0 (このIDを非表示/違反報告)
みそ漬けキュウリで殴る(プロフ) - あれ、もしかして40ページのtnと夢主ちゃんが住んでる家が高層マンションなのって逃げ出さないようにする為だったり…？誠さんのお話表現とかが美しすぎて本当に好きです… (2022年2月22日 7時) (レス) @page40 id: ed00509d09 (このIDを非表示/違反報告)
誠(プロフ) - 紫紅兎さん» ありがとうございます！そう言って頂けて嬉しいです… (2020年12月26日 18時) (レス) id: b57bb5d927 (このIDを非表示/違反報告)
紫紅兎(プロフ) - 虫のeさんのお話がｯｯ好きすぎて…！！毎日朝昼晩と読ませていただいております…呪いをモチーフにしつつ…儚さもあり…誠さん天才か何かですか…まって尊いがすぎますよ…更新楽しみにしております…誠さんのペースで頑張って下さい (2020年12月26日 11時) (レス) id: fcae62d2ac (このIDを非表示/違反報告)
( ・∇・) - ページ40のお鍋が冷めるシーンが人の恋を表している感じがしてとても面白かったです！ (2020年11月15日 10時) (レス) id: fdab07ad69 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：誠
| 作者ホームページ：http://around-the-clock
作成日時：2020年7月17日 18時
