Neun. ページ8
何時だったか、聞いてみたことがある。
「貴方っていつもその銘柄を飲んでるわよね?美味しいの?」
「あ?あー……まぁ、美味いかな」
「もっと良い豆なんていくらでもあるのに」
「俺はこれがいいんだよ」
それは彼の人には珍しく、値が張るようなものじゃなくて。
香ばしい香りで、程よく苦味が口に広がる。
まるで、彼の人のようだった。
連れてこられたのは小さな喫茶店。
扉を開けて息を吸えば、芳醇な香りが胸いっぱいに広がった。
上品で、少し酸味のある香り。
慣れない香りが、酸味が、染み付いた香りを消してしまいそうで怖かった。
「いらっしゃいませ」
「コーヒーとミルクティーを」
「畏まりました」
歳を召したマスターが、慣れた手つきで豆を挽く。
何を待っているのだろう。
ゆったりとしたソファに対峙する父様は、意味有り気な笑みを浮かべて私を見つめるばかりだ。
____私は、どうなってしまうの。
____今度こそ、本当に…知らない人のものになる。
恐怖だけだ。
今の私にあるのは。
今度こそ本気でこの人は、私を誰かに差し出す。
そうすれば、彼の人はどう思うのだろう。
私は、幸せになれるのだろうか。
幸せに、なれなかったら____彼の人を失って、幸せにさえなれなくて、それで私は____生きていけるというのだろうか。
何時か街で幸せそうに、
私では無い誰かの手を引いて歩く彼の人と、
笑ってすれ違う事が出来るというのか。
怖かった。
何も無い、与えられるだけを幸せだと思っていた私は、そうじゃない事を知ってしまったから。
こんなに、不自由だと知らなかったから。
「A?ミルクティーが冷めてしまうよ?」
「____えぇ、そうね」
此処から逃げ出したかった。
私は、自由を知ってしまったから。
銀色の月を握る。
冷たい銀が、私の熱さで温かくなる。
アレクサンドライトが、赤く染まった。
「A、ちゃん……?」
アレクサンドライトのような、私の紅い目と
アメトリンのような、紫と黄色の目が交差する。
息が詰まった。安心した。
変わってしまう私の前に、何も変わらない彼が現れた事に、こんなに救われるとは思わなかったんだ。
「敦……さん……ッ」
「久しぶりだね、あれから心配してたんだよ!?だけど、どうしていいか分からなくて……ただ、安心したよ」
____変わらず強い、貴女のままで。
変わらない、と笑った顔に、
堪えていた涙が溢れ出した。
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チョコ - 私中也が推しなんですけど、中也落ちでとてもおもしろかったです!文章の書き方凄くお上手ですね…素敵な作品有難う御座いました! (11月2日 20時) (レス) @page36 id: 521e64f565 (このIDを非表示/違反報告)
るぅと(プロフ) - 立原が好きで一気に読ませてもらいました!! 落ちは素敵帽子君でしたけど素敵なお話でとても満足です 素敵なお話有難うございました!、 (2019年8月15日 16時) (レス) id: 4ba8ceef5d (このIDを非表示/違反報告)
ゆうか(プロフ) - とても面白かったです!!!続きが気になり一気に読んでしまいました笑 素敵な作品を作ってくださりありがとうございました♪ (2017年10月5日 9時) (レス) id: b2880a4db3 (このIDを非表示/違反報告)
桜紅葉 - 立原落ちの小説なくって...立原落ちの小説じゃなかったけどとても面白かったでした!!道造の小説増えて欲しい... (2016年12月14日 20時) (レス) id: c36e1fb932 (このIDを非表示/違反報告)
命乱(プロフ) - 所で…立原落ちの長編小説をリクエストって出来ないですよn((貴方様が書いてくれたら、もっとファンが増えるかと思ったんです…(・ω・`) (2016年11月24日 1時) (レス) id: 7f8e3351f1 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:一華 顕音 | 作成日時:2016年8月5日 22時