□福寿草（2） ページ8
｢てかめっちゃパジャマかわいんだけど。｣
｢ありがと！今日のために買いました！｣
｢んふふ、そのエピソード含めて可愛いわ。｣
｢めいちゃんも似合ってるね！｣
｢こっち見てから言って？｣
いつの間にやら真後ろに立っていた怪力系歌い手は、声の可愛さにつり合わないパワーでグワングワン遠慮なく肩を揺すっている。リアルに脳震盪になりそうだからやめてほしい。力加減って分かる？
｢Aの顔見たいなあ。｣
耳元で甘く囁くめいちゃんは、もはや溢れ出る好意を隠そうともしていない。当たり前なんだけどそれは恋人への距離感で、よりいっそう体がカチコチになってしまう。
｢や、だ。｣
｢なあんで。｣
｢…顔真っ赤だもん。｣
｢なおさら見なきゃじゃん。恋人の特権でしょ。｣
洗面所の端っこで縮こまる私の手をとって、するりと手を繋がれる。背中に感じるめいちゃんの体温と彼が動くたび香るシャンプーに、心臓が破裂してしまいそう。
｢ね、お願い。｣
好きな人にそんなふうにお願いされて断ることの出来る人間がいるのだろうか。仮にいたとしても、一生私には縁のない話だろうなとなんとなく思った。
アツアツの頬の熱が冷める間もなく、恐る恐る後ろを振り返った。残念なことに、私より目線の高いめいちゃんの顔を見るような余裕は今の自分にはない。
たった数秒。されど数秒。普段の私であれば気にしないような短い沈黙に不安が募っていく。
｢まだそんな可愛い顔できんの。｣
｢可愛くなんか…、っわ！？｣
とたん、大きな手のひらで頬を挟まれる。
その後当然のように猫ちゃんにするみたくもみくちゃに撫で回された。
｢俺の知らない顔だあ…。｣
｢うそ、｣
｢嘘じゃない。ほんとう。｣
そんなの言ったら、めいちゃんだってそうだよ。
すぼめられた目に眉は下がって、引き結んだ唇はゆるゆると笑みに変わっていく。
｢すっごい幸せかも。今。｣
顎でうりうりされるつむじは凄く痛いけど、彼の柔らかな声音を聞いて抗議する気なんか一瞬で失せてしまった。
｢A、こっちおいで。｣
手を引かれるまま洗面所を後にする。あんなに追いすがっていた浴室も、出てしまえばあっという間だ。
｢大事にするって約束するから。｣
｢…うん。｣
いつの間にやら心臓は元のペースを取り戻していて、流れる穏やかな時間に身を任せる。
別に手篭めにされるのが怖いとか、そういうんじゃないんだけど。まあいっか。
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作者名：哀 | 作成日時：2022年8月29日 23時
